木村長門守重成
大坂夏の陣。木村重成(1595-1615)は最後の出陣の前日から食を断った。妻の尾花はこれを心配し、「心臆せられて食ものどを通らぬか」と問えば、「否とよ。戦死の際に身より汚物の出ずるは武士の恥辱なり」と答う。尾花は夫の覚悟のほどを知り、夫の心残りなきようにと心事を書き残し、十八才を一期としてみごと自害し、夫の出陣を励ました。重成は大坂城中に聞えた美丈夫、緋縅の大鎧に鍬形打ったる兜をいただいた姿はまことに絵にかいたようであった。敵の豪将井伊直孝の軍中に討ち入り、ついに浪速の花と散った。首実験の際、名香伽羅の匂の漂うに家康もいたく感嘆し、これぞ天晴れ日本武士道の花ぞと褒めそやした。
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