鐘捲自斎と伊藤一刀斎
鐘捲自斎通家は遠州秋葉に生まれ、越前に住した。自斎は中条流から出て、外他流を開いた達人で、外他通家とも称し、門人には伊藤一刀斎、佐々木小次郎らがいる。一刀斎がまだ10代の頃、弥五郎と称して自斎の下で5年ほど修行をしていたときの話である。
弥五郎は自斎から学ぶべきことはすべて学びとってしまったので、自斎に向かって、「私はもはや、外他流の妙味を会得したように思いますゆえ、お暇をいただきます」といった。「思い上がりも甚だしい。弱年の身で何をいうか、わしと立ち合ってみよう」と自斎は木刀をとって庭に下りた。自斎は一刀のもとに打ち据え、その慢心をうち砕くいてやろうと思った。ところが逆であった。弥五郎は見事に自斎を打ち込んだ。自斎はうめいた。しかし、どうしても解せなかった。「わしは諸国をめぐって、多くの武芸者と試合をして来たが、いまだに敗れたことはない。しかし今その方と立ち合って、確かに負けた。その方はいつ、この妙技を会得したのか」弥五郎は言った。「人は眠っている時でも足がかゆいのに間違って頭の方をかくことはありません。足がかゆければ足をかき、頭がかゆければ頭をかきます。つまり、人間には機能が働いていて、自ずと防衛するようにできています。その原理を働かそうと考えたのです。」自斎は秘伝をすべて弥五郎に授けた。
伊藤一刀斎開眼の秘話はまるで星飛雄馬が大リーグボール1号を生んだときに似ている。野球とは関係のない、ボクシングや剣道、射撃を体験し、はては「打たれて結構、もう一歩進んで打ってもらう」という禅寺の和尚の言葉で魔球のヒントをつかんだ。諸芸相通ずるものがあるように思える。
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