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2009年12月20日 (日)

追儺

    追儺は中国より渡来の風俗で、日本の起源は文武天皇の慶雲3年(706)に疫病流行の時に疫鬼を払うためにおこなわれたことからであるといわれている。大舎人寮の舎人が鬼の役を勤め、大舎人長は方相氏となって四つ目の恐い面をつけ、玄衣、朱裳を着し、右に戈、左に楯を持ち、振子という8人の小児を従えて鬼を払うのである。殿上人もこの方相氏に従って桃の弓、葦の矢で射て鬼を追う。鬼はついに滝口の戸から出て去るということになる。この追儺は、平安時代に晦日の宮廷年中行事として盛んであったが、室町中期に至って廃絶した。神社の節分祭にこの除災招福の作法を行うのは江戸時代以来の新しい習わしで、民間の豆を打ちあって鬼を追う節分習俗と古式追儺とが習合して復興したものと思われる。

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