ブログ功罪論
朝日新聞の朝刊には阿久根市長の問題行動が大きく取り上げられている。「即、辞職せよ」という男性の声と、ある女性は、「ブログや行動に問題があるからといって即、辞職せよ、とは思わない」という冷静な意見、両論を紹介していた。地方自治なので有権者に委ねるべきだろう。気になったのは記事の扱いの大きいことである。一方、厚生省の不正郵便事件のその後の扱いの小さいことには驚く。民主党に気づかってのことなのか。(むしろそのほうが新聞社の裏事情がバレバレにわかる)。それは新聞の大きな欠点の一つである。何をトップにもってきて、どれを小さく流すかはデスクの判断であるが、なにやら恣意的、作為的なものが感じられる。むかし落語家円生が亡くなった日と同じ頃に上野動物園のパンダが死んだので、パンダの記事のほうが大きかったという笑えない話がある。その点、ネットでの情報は一覧性なのでどれを選択して見るかはユーザーのお好み次第である。新聞購読をそろそろやめて、ネット1本にしぼろうかと考えている。新聞社も危機感があるのか、ブロガーに対して遠まわしな批判記事がめだつ。有名な詩人の谷川俊太郎のインタヴュー記事で、詩の現在と未来を語る中で、ブログは単なる欲求不満の捌け口のように受け止められる記事を読んだことがある。谷川のように雑誌などでの発信力のある人はブログを使って発信しようとは思わないかもしれないが、名もなき庶民にはブログというのはありがたいシステムである。もちろん責任もともなうので慎重に心清らかに、かつ要領よくまとめて書くことを心がけている。なるだけ時事のことは流動性があるので書かないよう努めてきたが、時局のことにふれることで勉強になることも多い。多くの人が同じ問題で異なる意見を書き、対立することも多いが、面と向かって話し合うより、資料を調べて、建設的に意見を出し合えるような気がする。新聞情報も一社の社説だけだと公平性を書くことが多いが、ブログを読むと多様な声が聞ける。多様な情報のなかから必要な情報を見つけけだし、自分の考えをまとめて文章にするという行為はべつにほめられたことでもなく、また悪いことでもなく、毎日顔を洗い、食事し、排便する、ということと同じことであり、考え、書く、他人のブログを読む、ということである。
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