無料ブログはココログ

« 日はまた昇る | トップページ | 鬼火の妖精 »

2009年12月14日 (月)

塚原卜伝の無手勝流

    塚原卜伝が生まれたのは延徳元年(1489)だといわれている。実父卜部覚賢、養父塚原安重に参籠すること1000日、悟りを開き、自分の流儀を新当流と名づけた。これはそのころ卜伝が諸国をめぐり修業していたときの話。ところは琵琶湖という。

   江州矢走の渡しで渡し船に乗った。乗合の者が5、6人いたが、その中に背の高い髭の濃い、いかつい浪人がいた。「天下をめぐり歩いているが大した奴はおらぬ。まずおれに敵う者はおるまい」と自慢たらたら。卜伝は知らん顔をして居眠りをしている風をしていたが、余りにその男が広言をするので、つい口がでた。「いやいろいろと珍しい話を承ったが、どうしても合点のゆかぬことがある。いつも、人に勝とうなどと思ったことはない。ただ負けないように工夫してきたばかりだ。貴公とは少々、考えが違うな」対手の武士は、冷笑して、「ふん、貴公一体、何流を学んだ」「ただ人に負けぬための流儀、無手勝流とでも申そうか」「無手勝流?ふん、それなら刀はいるまい、腰の両刀は何のために差しているのだ」「この両刀は、我意増長の鋒を切り、悪念邪心の芽を断つためのものだ」「ほざいたな。では、おれとお主と試合してみよう。お主、刀を使わずに勝てるか」「さよう、わしの心の剣は活人剣だが、悪い奴に出会った時には殺人剣になるかも知れぬ」まるでからかほれているような具合になったので、かの浪人大いに怒って、「よし、見事おれをたおす殺人剣になり得るか、陸に上がって勝負しよう」にと怒鳴る。

   卜伝は少しも騒がず、船頭に向かって、「あちらの岸は人の往来が多く、怪我でもさせてはいけない。それよりもあそこに見える小さな離れ島に船をつけるがよい。あそこで勝負をしよう」と、船を川の中の小島に着けさせた。浪人はひらりと岸に飛び乗り、三尺八寸の太刀をひき抜いて、「いざ、真っ二つにしてくれる。早く上がってこい」と、わめき立てる。卜伝は仔細らしく、「ま、慌てるな、無手勝流は心を静かに保たねばならぬのだ」といい、袴の裾を高くはさみ上げ、両刀を脱して船頭に向かい、「さ、この両刀は持っていてくれ、その代わり、その棹をかしてくれ」と、棹をうけとって、舷に立ち、水棹で岸にひらりと飛ぶような恰好をしたが、そのまま、棹をつき立てて船を岸から押し離してしまった。浪人は驚いて、「こら、何をする。早く上がって来い」と怒鳴るのに、卜伝は、「ま、御免こうむろう。口惜しいければ泳いでくるがよい。どうじゃ、これが無手勝流というものじゃよ」と大笑し、そのまま船を動かして川の対岸に着けてしまったという。

« 日はまた昇る | トップページ | 鬼火の妖精 »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 日はまた昇る | トップページ | 鬼火の妖精 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31