集団イジメする者、見てみぬふりをする者
秋ごろから「少年マガジン」で真っ先に読むのは「はじめの一歩」ではなくて、流石景の「GE~グッドエンディング」になった。ところが彼女のブログが批判や誹謗中傷で閉鎖したというニュース。「2ちゃんねる」を読む。惨い、若い女流作家には精神的にこたえるだろう。作品には若者言葉や生態がリアルに描かれていて十代の男子の注目を集めた。だが一部ヲタたちは作品もさることながら流石景への関心が高まった。もちろん作家が女性であることが事件の背景にあることはいうまでもない。書き込みにある「ヒロインは処女であること」という処女厨の意見は理解しがたいものである。こんなことも書かれている。「ブログやる奴って自分にとって都合のいいことばかり感想が書かれると思っているのかね?何書かれても見てくれているという感謝と受け止める心の広さが必要だというのに、それがわからず自分で勝手に傷ついてあげく病気や自殺する精神面の弱すぎる奴が多すぎる」でもやはや面白がって皆でイジメているようにみえる。いまのヲタの心の闇の部分がある。自分の経験でもこの50年ほどで日本人は変化してきたと感じる。40年ほど前の社会では秩序や礼儀があった。職場でも自分より10歳下、20歳下、30歳下と話しあううちに、何となく変わってきたなという実感はある。それは一言ではいえない。コンピューター社会というのも大きな影響がある。テレビゲームで育った世代である。自分のブログに「はてなブックマーク」をつけて保存してくれるユーザーさんがいる。面白い記事だと思って、マークをつけてくれるのであり、分類検索しやすいようにタグまでつけてくれる。読んでいただいて感謝している。ただユーザーのコメントが入る。それが問題なのだ。ほとんどは図書館関係者なのだが、ひどい誹謗中傷が多い。だいたいは若い大学図書館あたりの人でネット貴族と呼ばれるかなり思いあがった図書館員たちである。自分たちの考えが絶対に正しいと思っているようだし、傲慢である。現代ネット社会の図書館ヲタの暗部がみえる。それを糾すことは不可能だろう。匿名性を利用して人を傷つけることを悪いと思わない人が多すぎる。最近も自分のコメント欄に「馬鹿か」と書かれた。嫌な気がする。でも諦めるより仕方ない。自分よりはるかに若い流石景さんが傷つく気持ちはよくわかる。こんな世の中だけど、応援している読者もいることを忘れないでほしい。
流石景ブログ閉鎖はネット社会の歪んだイジメとみている。書き込をしたヲタのなかにも、結末をブログ閉鎖→執筆中止→作者病気、ということを連想する者もいる。行為の罪深さを自覚しつつイジメをしているふしがある。ネットという開かれた衆人監視のなかで行われるイジメの実態に卑劣な一般大衆がいる。そこに傍観者たちの利己主義がある。一例をあげると、車中で酔っ払いが女性に抱きついたり暴行をはたらいたりする。同じ車中の乗り合わせた人たちは誰一人をとめるでなく、見てみぬふりをする。それと同じ。集団イジメは学校などの弱年者集団だけにあるわけでない。職場などでもある。はじめは単なるからかい、揶揄、中傷からくる。そのなかのリーダーが支配していて逆らえない状況にあるとする。もちろん職場の管理者がいるのだが、表面化するのを恐れて実態を見ても知らぬふりをする。イジメられた者は社会に公表するという。管理者は「それはやめてくれ」という。結局、無力感からイジメられたものは去っていく。よくある話であるが、多くのひとは知っていながら、表面上はやさしいイイ人のふりをして、噂だけを楽しみ、イジメられたのが自分でなくてよかったと思うだけである。でも集団イジメの被害者になるのは、今度は貴方の番かもしれないのだ。
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