恐怖のメロディ
1930年代はじめ、ダミアの訴えるがごとく泣くがごとく、もの哀しい歌声がラジオを通じて世界に流れていた。それは迫りくる世界大戦の不安を反映するように暗く、悲しく心にひびき、人々は彼女を「シャンソン・レアリスト」と呼んだ。そして1932年、ダミアが歌う「暗い日曜日」がラジオから流れた。ハンガリーのブダペストでは青年がこの曲を聞いたとたんピストルをとりだして、こめかみを撃って自殺した。ニューヨークでは美人タイピストが自分のアパートでガス自殺をした。遺書には葬式のとき「暗い日曜日」を演奏してほしいと書いてあった。それから数日後には、ベルリンで若い店員が首をつって自殺をした。その足もとには「暗い日曜日」の楽譜が落ちていた。80歳の老人がこの曲をかけながら、7階から飛び降り自殺をし、14歳の少女が、この曲の楽譜を手にしたまま、川にとびこんで死んだ。この曲のために少なくとも100人以上の人が自殺したといわれている。その後も自殺者の数は増えるばかりなので、世界中の放送局では「暗い日曜日」を放送することを禁止するようになった。だが、それからまもなくあの悲惨な第二次大戦が始まったのである。
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