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2009年12月18日 (金)

昭和天皇と大相撲

    昭和天皇が大相撲ファンであることは、ある年代以上の日本人なら誰もが知っていることだろう。戦後、陛下が初めて国技館の本場所を行幸されたのは昭和30年夏場所10日目のことだった。その日、千代の山、鏡里の両横綱に土がつくという大波乱だった。

ひさしくも みざりしすまひ ひとびとと てをたたきつつ みるがたのしみ

    これはその日の陛下の御製である。いま両国国技館正面入口に碑がある。

    古い話だが、昭和天皇が「どんなテレビ番組をご覧なされるか」という記者団の質問に誠実な陛下はありのままを返答なされた。しかし、それが記事となって、その局はたいへん栄誉なことであったが、他局からはおもわぬ反響となった。やはり天皇のお言葉一つ一つがさまざまな影響を与えられることに憂慮されて、以来、陛下は先ず第一に公平であることを心がけられたときく。スポーツの観戦についても、プロ野球も観戦に行かれたことはあるものの、すべてのスポーツを選ぶことは不可能である。いろいろと考えられて、相撲ということになった。それは相撲は国技として日本国民に長く愛されている伝統があるからである。宮内庁も陛下のお心にそってこれまでのルールをつくってこられた。諸外国のお付き合いにしても、大きな国、小さな国、わけへだてなくされてきた。「大国を重視し、小国を軽視する」というのは政治家の考えである。政治家の思惑を強制的に天皇に強いることは、天皇の政治的利用をはかることであり、象徴天皇を定めた憲法違反である。

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