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2009年12月21日 (月)

国家再編成の研究

   街はクリスマスの飾りで包まれている。キリストの生誕を祝うツリーや飾りはよく見られるが23日の天皇陛下の誕生を祝う飾りはほとんどない。しかし今年の天皇誕生日は例年にないものが感じられる。連日のように天皇の政治利用に関する論議や党利党略の思惑が絡んで嫌なムードだ。もうそろそろ終息したい。そんな背景として小沢の定例会見があったのだろう。このブログでもしばしばこの件について触れたがもう終息したい。ただ歴史ブログなので、日本史の研究上、天皇の政治利用をふりかえってみたい。

    幕末維新の変革の中で、幕府政治を廃止して、天皇を奉戴して諸藩が連合して政府を構成する、いわゆる「公議政体論」というのは、土佐藩の坂本龍馬などによって唱えられ、中岡慎太郎、後藤象二郎もこれをうけたといわれる。ただし、具体的な実施方法には違いがあって、中岡は武力倒幕を、後藤は大政奉還を説き、坂本はその中間であったという。この時点では天皇の親政は考えられていなかった。

    明治憲法体制が成立し、議会が開設しても、政府の基本姿勢は藩閥官僚が政治を独占した「超然主義」であった。天皇制国家の主柱をなす軍隊が、政府や議会が関与できないとする、いわゆる「統帥権干犯」問題が起こるのはかなり後のことであった。これには鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎(1883-1959)も関連している。昭和5年、ロンドン軍縮条約をめぐって政友会の犬養毅や鳩山一郎は「条約を結んだのは天皇の統帥権を干犯することだ」と激しく政府を攻撃した。浜口雄幸首相は右翼青年佐郷屋留雄に狙撃され軍国主義の反動へのきっかけとなり、結果的に鳩山一郎らが天皇を政争に利用したことが戦争に結びついた。昭和8年、鳩山一郎文相は京都帝国大学の滝川幸辰の著書「刑法読本」が国体に反するという理由で、休職処分とした。昭和10年には、天皇が国家の一機関であることは、それまで半公認されていた学説であったのに、片言隻句を捉えて美濃部を反逆者として弾圧した、いわゆる「国体明徴問題」が起こった。これらにより学問の自由、言論の自由は失われた。二・二六事件の後、不敬問題で検挙された者は続発する。出口王仁三郎の大本教が逮捕される。入船観音道の小原龍海も不敬罪で捕われる。ひとのみち教団の幹部も逮捕される。神政龍神会の矢野祐太郎も逮捕される。良子皇后の従姉妹である島津治子も「きよめ会」に関わり司法処分される。このように神聖不可侵の天皇を楯に権力に対しての批判的な動きは「反国体」の名のもとに弾圧されていった。

    このような戦前の天皇問題をふりかえってみると、象徴天皇の存在もあらためて脆弱な基盤の上に成り立っているものであることが明らかとなる。今回の小沢発言で、国事行為そのものにまで論議が及ぶと、小沢擁護の人からは「天皇の海外訪問もみな政治的なものじゃないの」という声をきいた。つまり今回の天皇特例会見の本質は、両刃の刃で、危うい象徴天皇の思想基盤に関して国民的議論をつくすということは、昭和20年のポツダム宣言受諾時に戻って、天皇の存廃まで含めて国家再編成に触れることになる。もちろん戦前の憲法研究家はすでに天皇機関説を唱えたように、学問研究は自由であろうし、今後、将来の日本をどのようにするのか、坂本龍馬のように新しい日本の針路をみつけることは必要なのであろうか。それにしても天皇に関しては、昨今、流行の常套語「デリケートな問題なので」という政治家、マスコミ諸氏の慎重な発言がこの国の本質を現しているように思える。

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