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2009年12月 3日 (木)

経塚と末法思想

   経塚とは、仏教の経典を自らの手で書き写し、これと地中に埋納して、未来永劫に保有しようという意図で築造された仏教遺跡のことである。その発祥は、中国では早く6世紀のころに経典を地中に埋納した例がある。入唐僧円仁慈覚も中国で仏教の法難のようすをつぶさに見て帰り、比叡山横川に宝塔を建てて法華経を納めたことがある。これらは経塚行為の端緒であると考えられる。経塚は初め貴族や豪族によって築かれたが、遊行僧によって広められ、11世紀から盛行した。とくに11世紀後半から12世紀にかけて、国内で末法思想到来の実感が人々の間に広まるようになると、経塚はその対策の一つとして、隆盛しはじめた。

   経塚遺物に「末法」の語のみえる最古の例は延久3年(1071年)の銘をもつ、鳥取県大時出土の瓦経である。とくに北九州地方を中心に、次第に全国的な広がりをもって隆盛していった背景には末法思想が大いにあずかっているといえる。そしてそこから弥勒の出世を期して経巻を地中に埋納するという目的が生じているのである。

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