タイトル・ネーミング小史
明治18年の坪内逍遥「当世書生気質」から平成21年の村上春樹「1Q84」に至るまで、小説、ドラマ、映画、歌謡曲などのジャンルを問わず、作品のタイトルの移り変わりを論ずる。
明治期、漢語を基本としたネーミングがほとんどである。矢野竜渓「経国美談」、東海散士「佳人之奇遇」、末広鉄腸「雪中梅」、尾崎紅葉「金色夜叉」。このような中にあって夏目漱石「吾輩は猫である」はネーミング史上画期的である。一センテンスの文がタイトルとなる現在の起源ともいえる。(片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」、江國香織「号泣する準備はできていた」など)
だがその後も日本文壇の作家はほとんど文がタイトルとなることはない。志賀直哉「城の崎にて」、川端康成「雪国」、太宰治「斜陽」、松本清張「点と線」など。最近の作家がタイトルに文章を使用するようになったのは、おそらくニューミュージックなどの影響によるものと思われる。「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)、「遠くで汽笛を聞きながら」(アリス)
そのニューミュージックたちは詩から影響をうけた。例えば寺山修司の「時には母のない子のように」(カルメン・マキ)、「思えば遠く来たもんだ」(海援隊)などは中原中也の作品を思わせるものがある。「汚れつちまつた悲しみに」など中也の詩はダダの影響があるので、今日一般に見られる文章のタイトルはダダの影響によるものであって、既成の文壇から生じたものではないようである。ダダの詩は大正末期から昭和戦前期にかけて無声映画や流行歌に影響を与え、文章をタイトルとする作品が現われた。「何が彼女をさうさせたか」「誰か故郷を想わざる」(霧島昇)また戦中戦後期、海外からの諸作品からの影響も見逃せない。「歴史は夜つくられる」「わが谷は緑なりき」「我が道を行く」「誰がために鐘は鳴る」「サマーラの町で会おう」「ツァラトゥストラはこう言った」など。
戦後は歌謡曲において一般的となった。「こんなベッピン見たことない」(神楽坂はん子)、「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)、「ベッドで煙草を吸わないで」(沢たまき)「そんな夕子にほれました」(増位山)、1980年代以降は歌謡曲の世界では長いタイトルは当たり前となる。「そして僕は途方に暮れる」(大沢誉志幸)、「僕がどんなに君を好きか君は知らない」(郷ひろみ)、今年のヒット曲、「僕は君に恋をする」(平井堅)、「大っきらい、でも、ありがとう」(青山テルマ)など。長いタイトルはドラマ・映画でも主流になりつつある。「僕の彼女を紹介します」「人のセックスを笑うな」「テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる」「美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう」。なかには中味を見ずともタイトルで粗筋がわかるほど長いものがある。こうダラダラしたタイトルが多いと、かつての芥川龍之介「鼻」や松本清張「顔」がインパクトあるネーミングに思えるから不思議だ。長いタイトルといえば、「マルキ・ド・サドの演出によりシャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺」ピーター・ブック(1968年)が知られている。今ではその以上に長い映画も存在するだろう。(1978年のソフィア・ローレン主演のイタリア映画の原題が長い。ちなみに邦題は「愛の彷徨」)
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