唐宋転換期と社会経済の推移
中国史のうえで最も論議が盛んだったのは唐の中期から宋初にかけての時代である。わが国の学界では、この時期を古代と中世との変革期とみるか、あるいは中世と近世との転換期とみるか意見が分かれた。(変革期と転換期との用語の違いに注目!)
内藤湖南(1866-1934)は古代を後漢まで、中世を五胡十六国から唐の中頃まで、近世は宋代以後としている(「概括的唐宋時代観」1921年)。前田直典はマルクス史観にもとづいて、古代を奴隷制の社会とする立場に立ち、9世紀前後に古代が終り、そのほかの東アジアの日本と朝鮮でも12世紀から13世紀に同様のことがおこり、東アジアで古代の終末について連関性があったと説いた(「東アジアに於ける古代の終末」1948年)
以下、唐宋から明清に至る社会経済的推移を略述する。北魏王朝に始まる均田制は隋唐王朝に受け継がれて、日本の班田収受の法の手本となったが、荘園制の発達にともなう新しい地主階級の勃興とともにくずれはじめ、安録山の乱(755年)以後は全く崩壊して両税法が行われるようになってしまった。宋代になると、政治のうえで大きな力をふるっていた貴族や均田農民も没落し、佃戸を小作人とする新しい地主階級が荘園を所有した。また、宋の時代以後は国内商業の発展もめざましく、行とよばれる商人の同業組合、作とよばれる手工業者の組合があらわれ、貨幣としては銅銭が広く用いられたが、元の時代を経て明の時代になると銀が最も重要な貨幣となり、税制のうえでも地税・徭役の貨幣納が進んだ結果、明の末期(16世紀後半)には地租とそれに応ずる丁税とを銀でまとめて収めさせる一条鞭法が行われて唐中期以来の両税法に代わるようになった。神宗の時代になると宰相となった張居正(1525-1582)によって全国的規模の検地(耕地の整理)を実施し、租税の確保に努力するにいたった。
座談会「東アジア世界の変貌」石母田正、斯波義信、堀敏一、山本達郎、米沢嘉圃 「世界の歴史6」筑摩書房所収 1961
貴族政治から文臣官僚体制へ 栗原益男 「世界の歴史6」筑摩書房所収 1961
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