豊臣秀吉暗殺計画
京の南禅寺の三門あたりに居を構える大盗賊石川五右衛門の隠れ屋敷に、人目を忍んで一人の武将が尋ねてきた。名を木村常陸介重茲(?-1595)という。常陸介は豊臣家の後継者に定められた秀吉の甥、関白秀次の無二の忠臣である。常陸介が五右衛門に告げたのは「太閤殿下を暗殺してくれ。大願成就のあかつきには、そなたを大名に取り立てよう」という。実子のなかった秀吉は、甥の秀次を跡継ぎにしておきながら、昨年、淀君に秀頼が誕生すると、一転して秀次に冷たくなった。五右衛門はニヤリと頷いた。かくして常陸介から伏見城の絵図面を手に入れ、秀吉の寝所に忍び込んだ。だが、不覚にも強力無双の仙石権兵衛に捕らえられ、釜ゆでの極刑にされた。山科言継日記によると文禄3年8月のことである。秀次も謀反の嫌疑をうけ、文禄4年7月、高野山に追放され、切腹した。8月には秀次の子女妻妾30余人が京都三条河原で斬首された。秀吉暗殺計画の首謀者、木村重茲も長男の高成とともに自害した。次男の木村長門守重成(1595-1615)は幼少のため一命を助けられ、のち秀頼の家臣として仕えた。大坂冬の陣には奮戦し、夏の陣で戦死した。
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