上杉家浪人だった原惣右衛門
原惣右衛門元辰(1648-1703)は三百石足軽頭で、大石内蔵助、片岡源五右衛門につぎ高禄であり、上方急進派の中心人物だった。
遠祖は美濃の土岐氏の流れといい、原加賀守昌俊のとき、甲斐の武田信玄に仕えて重んじられた。その子と子孫は、信玄と勝頼に仕えた。しかし勝頼のとき、武田氏は滅亡した。その後、出羽の最上義光の家臣となった。ところが、元和7年、最上家は断絶した。原氏は、米沢の上杉定勝、ついで綱勝に仕えた。この綱勝の妹、富子は吉良上野介義央の正室となる。
元禄義挙のとき上杉家の家臣のなかに、原氏の一族がいた。しかし、原定辰は定勝の娘が、加賀百万石の支藩、大聖寺七万石の前田利治に嫁したとき、付人となって行って、のちに浪人となった。この定辰の嫡男が、惣右衛門である。原家は戦国悲運の家系であり、いわば旧主家米沢上杉家の近親である吉良義央を討つというめぐり合わせとなったのである。
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