「天地人」から80年後は「忠臣蔵」
「天地人」第47話愛を掲げよ、最終回。直江兼続は元和5年に亡くなり、4年後には上杉景勝も亡くなった。そして長子定勝の娘富子は吉良義央に嫁ぐ。ここから元禄忠臣蔵・赤穂藩と上杉家・米沢藩との関係が生ずる。寛文4年、米沢第3代藩主・上杉綱勝は吉良邸に訪れた直後に発病した。死因は食中毒であるか毒殺であるかは不明である。ともかく綱勝は嗣子が無いまま急死したので、上杉家と米沢藩は取り潰されるところであった。そこで吉良義央と富子との間に生れたばかりの子、三之助を末期養子として綱勝の後継ぎとすることで家名存続が許された。米沢藩第4代藩主・上杉綱憲である。そして元禄14年に殿中刃傷事件が起こった。翌年の赤穂義士討入りの快挙によって謙信公以来の武門の名家・上杉家の名声は地に落ちたことはいうまでも無い。歴史は転変する。
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