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2009年10月20日 (火)

服部姓の研究

   平凡社の「世界大百科事典(1973年版)」で服部の苗字の人物を調べる。服部宇之吉(1867-1939)、服部南郭(1687-1759)の2人が採録されている。学研の「グラント現代百科事典(1983)では、そのほかに服部土芳(1657-1730)、服部半蔵(1542-1596)、服部嘉香(1886-1975)、服部嵐雪(1654-1707)の6人である。「コンサイス日本人名事典」(1990年版)ではそのほかに、服部安休(1619-1681)、服部因淑(1752-?)、服部英太郎(1899-1963)、服部金太郎(1860-1934)、服部之総(1901-1956)、服部四郎(1908-1995)、服部伸(1880-1974)、服部蘇門(1724-1769)、服部卓四郎(1901-1960)、服部達(1922-1956)、服部中庸(1757-1824)、服部撫松(1842-1908)、服部栗斎(1736-1800)、服部良一(1907-1993 )の19人が採録されている。「日本人物文献目録」(1974年版)ではそのほかに、服部綾雄(教育者)、服部有恒(芸術家)、服部勇、服部一三、服部鋭太郎、服部嘉十郎、服部倉次郎(水産)、服部けさ子(女医)、服部健三(薬学)、服部静雄(文学)、服部菅雄(文人)、服部轍、服部権、服部文四郎(経済)、服部平右衛門、服部甫庵、服部正己、服部躬治(歌人)、服部元好(狂歌)、服部保敏、服部米次郎、服部与兵衛、服部亮英(美術)の33人である。

    このなかで、注目すべき人物としては、服部躬治(はっとりもとはる、1875-1925)である。明治の歌人。歌集「迦具土」。(明治34年)福島県生まれ。上京して国学院に学び、明治26年、落合直文の「浅香社」を興すにあたり、その傘下に加わり、31年久保猪之吉・尾上柴舟らと「いかづち会」を結び、新派和歌運動の一翼となった。「国文学」「心の花」などに論文・国文評釈などを書き「文庫」の選者となり、また「明星」に寄稿した。37、38年ごろ、跡見女学校に教え、その学校を中心に蘋(かたばみ)社を結び、「あまびこ」を出したが二号で終刊。34年歌集「迦具土」を上刊。浪漫歌風であるが、古典的教養を踏まえた個性味豊かな特異な一集で、新派和歌運動期の記念作である。大正以降は歌壇から遠ざかった。著作としては「恋愛詩評釈」(明治33)「春夏秋冬名歌選」(明治44)などがある。その妹、服部てい子は水野仙子(1888-1919)の名で明治から大正期にかけて女流作家として活躍した。代表的に歌として「峠路に今ゆき合ひし巡礼の唄は霞の中になりぬる」がある。旅の途次、とある峠路で巡礼にゆき合ったが、たちまちのうちに遠ざかり、そのうたう御詠歌が今はかなたの霧の中に聞えてくる、という切ない哀感がただよう。

    現代の著名人としては、服部真湖、服部美貴、服部沙智子、服部浩子(歌手)、服部道子(ゴルフ)、服部克久(音楽)、服部隆之(音楽)、服部幸應(料理)、服部祐兒(相撲)、服部泰卓(野球)などである。服部祐兒は昭和58年から62年まで大相撲で活躍。四股名も「服部」で学生横綱として話題となった。服部金太郎は服部時計店、セイコーの創業者であるが、同姓同名の服部金太郎には図書館学者もいる。1992年、ルイジアナ州バトンルージュで射殺された留学生・服部剛丈さんも記憶に生々しい。

    服部姓は、「はたおり」(機織)のつまったもので、むかし機織木を職として朝廷に仕えた職業部の一つである。

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