ケルキラ島
ケルキラ島はギリシア北西部、イオニア諸島のうちもっとも有名で、島名もコルフ島(イタリア語)のほうがよく知られている。長くヴェネチアの支配を受け、現在もイタリアの影響が強くみられる。歴史的にはコルフ事件(1923年)、コルフ海峡事件(1946年)がある。
1923年夏、ムソリーニはギリシアに軍艦を派遣し、コルフ島を砲撃、ついで占拠した。ギリシアの提訴をうけた国際連盟は列国大使に問題を任せ、大使会議はイタリア軍の撤兵とギリシアの賠償支払いを定めて事件を解決した。第二次世界大戦にさいし、コルフ島はイタリア・ドイツ軍に占領されたが、1944年10月イギリス軍より奪回された。1946年10月、コルフ海峡北部を通航中のイギリス艦隊のうち、2隻の駆逐艦が触雷大破し、86名の死傷者を出した。1946年11月、イギリスは艦隊を派遣し、同水域を掃海したことからイギリス・アルメニア間に紛争が発生した。イギリスは国際司法裁判所に提訴し、アルバニアはこれに反対したが、同裁判所は裁判管轄を認めた。1949年、イギリス軍艦の無害通航を認めてアルバニアに賠償責任ありとし、他方、イギリスの掃海作業については国際法違反とする判決を下した。同年末さらに賠償額認定について、イギリスの主張する額を認める判決を行った。
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