アルブケルケのマラッカ征服
1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見して以来、ポルトガルはアジアの生産地と直接香料の取り引きができるようになった。まず1503年に胡椒の生産地である南インドのマラバル海岸に商館を築いて交易の拠点とし、さらに1509年にはディウ沖でマムルーク朝エジプト(イスラム軍)の連合艦隊を撃破、西インド洋の制海権をほぼ手中に収めた。
2代目インド総督に就任したアルフォンソ・デ・アルブケルケ(1453-1515)は、1510年にインドのゴアを占領し、ポルトガル・インド帝国の首都とした。この余勢をかって1511年末インド洋の要衝マレーシアのマラッカを攻略した。マラッカのイスラム教のスルタンはマレー半島の南端ジョホールに逃れ、中国に支援を求めた。中国はシャム王にアルブケルケと戦うよう命じたが、スルタンと敵対していたシャム王は、むしろポルトガルのマラッカ征服を歓迎した。ポルトガルのマラッカ征服によって東南アジア貿易が確保され、アルブケルケは部下をモルッカ諸島に派遣して、1512年アンボイナに商館を設立した。1513年、当時ペルシアの領土であったアデンを攻略するため、アルブケルケはわずか3500人の手勢を率いて、紅海の入口に侵入したが、3時間の激戦の末、失敗に終わっている。ともかくアルブケルケはポルトガルでは軍神として崇められている。
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