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2009年10月29日 (木)

若き日の釈迢空

   本名、折口信夫(1887-1953)は大阪府西成郡木津村(浪速区)に生まれた。はじめ服部躬治(1875-1925)の門をたたき、明治42年から根岸短歌会に出席、大正6年にはアララギの同人となった。古典的教養を踏まえた浪漫的な匂いのする作風である。

たびごころ  もろくなり来ぬ。志摩のはて 安乗の崎に、燈の明り見ゆ。(大正元年作)

どこの子のあぐらむ凧ぞ。おおみそか むなしき 空の ただ中に鳴る(大正5年作)

    大正3年、大阪の今宮中学校教諭の職を退いた折口信夫は、上京して小石川の金富町に下宿していたが、たちまち生活は窮迫していった。友人の武田祐吉が万葉集の口訳をして出版したらどうかとすすめた。「口訳万葉集」は参考書一冊もなしで書き上げた。訳了したものの、どこから出版するというあては無かった。いろいろ頼みまわって、芳賀矢一博士監修の「国文口訳叢書」に加えてもらえることになった。その第三篇として「万葉集・上」が出版されたのは大正5年9月、中・下巻が出たのはその翌年の6月であった。

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