桐一葉
「桐一葉」または「一葉」は、秋を表わす季語になっている。これは中国古代の書物「淮南子」に「一葉落ちて天下の秋を知る」に由来するからである。初秋、大きな桐の葉が風もなくばさりと音を立てて落ちる。高浜虚子の句に「桐一葉日当りながら落ちにけり」がある。
画家ゴッホはこのような東洋芸術の真髄を直感的に理解していたようだ。「日本芸術を研究すると、このうえなく賢く哲学的で頭のいい男が、いったい何をして時を過ごしているのか分かる。月と地球の距離を測っているのか。そうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか。違う。彼はたった1本の草の葉を研究しているのだ。しかし、この草の葉からすべての植物を、四季を、広大な風景を、最後に動物を、そして人間を描くようになるのだ。彼はこうして人生を過ごすが、人生はすべてを描くには短すぎるのだ」(ゴッホ書簡542)とある。
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