金森長近と飛騨高山城
金森長近(1524-1608)は織田信長に仕えて柴田勝家を寄親として各地を転戦、戦功を立てた。賤ヶ岳の戦いでは秀吉方につき、天正14年飛騨高山に3万8000石で入封。天正16年、天神山に高山城を着工。関ヶ原の戦いでは徳川方に属した。晩年は素玄と号し、茶人として知られる。6代目金森頼旹(よりとき)の元禄5年、高山は天領となる。代わって関東郡代が飛騨代官を兼ねたが、高山城の在番すなわち維持管理には、加賀藩主前田綱紀が命じられた。在番にはとほうもなく費用がかさむ。前田家はあの手この手で働きかけ、ようやく幕府から破却命令をえた。元禄8年に大がかりな破却作業が完了、高山城の姿は消えた。城に代わる高山陣屋は、金森家の下屋敷が改造して使われ、城内から稲荷神社や米蔵が移され、明治時代には飛騨県事務所などに利用された。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、陣屋としては日本でただひとつ残る高山陣屋をみて、「高山で興味をひいたのは、旧陣屋を改造した飛騨支庁の建物であった」とその日記に記している。
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