尾崎紅葉と硯友社
前列左より巌谷小波、石橋思案、尾崎紅葉、後列左より武内桂舟、川上眉山、江見水蔭
硯友社は明治18年に尾崎紅葉、山田美妙、丸岡九華、石橋思案らによってつくられた文学結社である。最初は4人の書いたものをもちより、紅葉、美妙の2人が浄書して会員に回覧させた。まもなく美妙が去り、紅葉中心の結社となった。
硯友社の機関雑誌「我楽多文庫」はこの手写本時代を経て「非売活版我楽多文庫」となり、さらに明治21年「公刊我楽多文庫」(16冊)となった。明治中期の文学は紅葉に代表されるように、雅俗折衷文体の粋を凝らした華麗な作風と、主として女性の愛や官能を描く筋立てのおもしろさが時流に受け入れられた。しかし、その本質は世相風俗の平板な写実にすぎず、国木田独歩によって「洋装せる元禄文学」と評され、非近代文学の一面があった。
同人、あるいは硯友社の周辺にいる作家には次のような人がいた。( )内は代表作。巌谷小波(真如の月)、広津柳浪(黒蜴蜓)、川上眉山(墨染桜)、江見水蔭(避暑の友)、大橋乙羽、泉鏡花(夜行巡査)、小栗風葉(心中くらべ)、柳川春葉(夢の夢)、徳田秋声(雲のゆくへ)、田山花袋(重右衛門の最後)、永井荷風(地獄の花)、中山白峰(風流学士)、新井雨泉、鈴木苔花、篠山吟葉(春の夢)、篠原嶺葉(新不如帰)、田村西男(芸者)、山里水葉、瀬沼夏葉、星野麦人、北島春石、後藤宙外(腐肉団)、前田曙山(檜舞台)、小杉天外(魔風恋風)、押川春浪(怪人奇談)
硯友社の作家は一部を除いて成功せず、明治36年の紅葉の死とともに時代から葬られた。鏡花、風葉、春葉、秋声は硯友社門下の四天王といわれた。
この時代の作家研究は最近たいへん便利になった。国立国会図書館のホームページから蔵書検索すれば、近代デジタルライブラリー(国立国会図書館所蔵の明治・大正期刊行図書を収録した画像データー・ベース)で本文画像を見ることができる。例えば、田村西男(1879ー1958)の「芸者」中島辰文館、明治44年。著者の死後50年経過していることから、知的共有財産として調査研究に活用できる環境になりつつあり、まことにありがたいことである。
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