北千島にとどまった最後の日本人
上の図版は何日頃撮影されたか不明ではあるが、戦前の北千島、占守島の住んでいた数家族の写真である。(「写真と解説・北方領土」国土復帰推進協力会、昭和50年)中央で子どもを抱いている男性が別所二郎蔵(1907-1976)であろうか。
明治26年、郡司成忠海軍大尉が報効義会を組織して千島の占守島に乗り込んだ。その中に二郎蔵の父、別所佐吉(1863-1935)がいた。日露戦争後も郡司の遺志を継いで別所佐吉と所三造の2家族等14人は占守島に残った。佐吉は別飛河畔の漁舎に住んで永住を決意し、家族を育てながら北千島の開発を続けた。二郎蔵も占守島で生まれ育った。やがて結婚し、妻和子と幼い子どももできた。写真は昭和10年代頃のものであろう。昭和20年8月18日、ソ連が攻めてくるまで別所二郎蔵は占守島にいた。北千島にとどまった最後の日本人である。一家6人は引き上げて北海道の根室に住んでいたという。
« 女子高生の噂話 | トップページ | 野球とサッカー、モルフォロギー(形態学)から見た相違点 »
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント