磔、ギロチン、切腹、火あぶり、死刑いろいろ
ある学者は「人とサルとが本質的に違うのは、サルは死刑という制度をもっていないことである」と言っている。人類は文明が進むと同時に死刑制度を定めたが、その方法にはいろいろな種類がある。世界史上で最も残酷な死刑は轘刑(車裂き)である。古代中国では、首や手足に縄をかけ、4~5台の車で四方に曳き、身体をバラバラにするという極めて残酷な死刑方法が実行されていた。おそらくこのような残酷な刑罰は先秦時代までであろう。漢代では漢律が整い、死刑は梟首、腰斬、棄市(磔)の三種と決められていた。車裂きの刑はヨーロッパでは近代法が整備されるまで行われていた。日本では豊臣秀吉の時代、石川五右衛門の釜ゆでなど、残酷な刑を6歳の子どもにまで科したという記録が残されている。
世界的にみて近代以前の罪人処刑の方法として最も一般的な方法が、磔刑である。イエス・キリストが処刑されたことでよく知られるが、起源は古代オリエントからあり、アッシリア人、エジプト人が考案した。斬首は古代ローマ人が考案したものであるが、のちにヨーロッパでも広まり、フランスでは18世紀ギロチンを使うようになった。絞首刑はアングロ・サクソン系の民族が用いて、新大陸の西部劇映画などでもよく見ることがある。
切腹という日本の独特の腹切り刑は、世界でも珍しい死刑方法である。江戸時代、武士には死刑のかわりに自殺を強制した制度である。ヨーロッパでは15世紀末から、宗教上の異端者に対して火あぶりという処刑法を用いた。魔女狩り裁判といわれる宗教弾圧が最高潮に達したのは1580年から1670年にかけてのことである。ドイツではこの時期に少なくとも3200人以上が処刑された。ヴィーゼンタイクの町では、1562年の1年間だけで63人の女性が妖術使いの罪で火刑になった。
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