東海道の島田宿からつぎの金谷宿まではわずか一里であるが、途中に難所の大井川がある。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
江戸時代、島田宿は川越宿場として栄えた。さぞや遊女屋もあったろう。江戸時代に流行った「島田まげ」は、この島田女郎衆の結っていたのが全国に広まったといわれる。万治年間ごろから根の低い「つぶし島田」が流行した。「島田まげ」は主として未婚の女性が結った。とくに婚礼の髪型として知られる「文金高島田」は根を高くしたものである。
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