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2009年9月30日 (水)

松本清張とアラン・ドロン

   ときは昭和35年の頃である。松本清張は従来あまり映画をみなかったが、数年前から書いた自分の作品「点と線」「眼の壁」「ゼロの焦点」など長編の本格推理小説が映画化され、小説もベストセラーになったことから、映画化されることを想定して書くことを意識しだしていた。そのため外国のサスペンス作品も見るようになった。

    昭和35年といえば、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」が日本でも公開され、ニーノ・ロータの哀愁あるメロディーとともに映画もヒットした。松本清張がこの映画をロードショーで見たかどうかは資料は残っていない。「太陽がいっぱい」の原作はイギリスの女流作家パトリシア・ハイスミスの推理小説「才人トム・リプリー」である。このころ清張は読売新聞夕刊に「砂の器」を連載している。「太陽がいっぱい」と「砂の器」には少し似たところがある。ラストで「太陽がいっぱいでね。それ以外はいい気分だ」とドロンが言う。だがその時、すでに警察が見張っていまにも逮捕しようとしているところで終る。和賀英良も貧しい出ながら、成功の一歩手前にきながら、執拗な刑事今西英太郎の捜査によって、完全犯罪が見破られる。設定そのものは一見するとまるで別なものである。しかしよく考えると共通点も多い。貧しい青年が上流階級になりながら、破滅する。身代わり。経歴詐称。和賀もリプリーも美青年であること。電子音楽、超音波、ヌーボーグループなど新意匠を織り交ぜてはいるが、基本的なプロットは同一である。もちろん、ここまで巧妙であるので盗用とはいえない。だが松本清張は「太陽がいっぱい」を見てヒントを得た気がする。「砂の器」でも映画館がよく出てくる。三木謙一が伊勢の映画館で掲示された写真をみて東京行きを決意する。映画そのものでなく、映画のニュースでもなく、ロビーにあった写真だというのも、清張一流の細工が念入りであるところが面白い。清張作品から単純なパクリを見出すことは無理であろが、「太陽がいっぱい」からインスピレーションを受けた気はしている。

2009年9月29日 (火)

とれたて街角リポート

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   読書の秋です。宝塚市・阪急逆瀬川駅にある読書スポット「女性の書斎ひとり好き」ではアットホームな雰囲気の中で、芸術・文化に親しみながら読書が楽しめる部屋です。お気軽にのぞいてみてください。もっとあなただけのステキな物語の始まりがあります。

   それからお知らせがあります。10月5日(月)エフエム宝塚835で「とれたて街角リポート」朝10時からの番組、現地「女性の書斎」からの生中継があります。リポーターは横山あづささんです。どんな話が飛び出すか、いまからお楽しみに!

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交通経路:阪急逆瀬川駅、東側ロータリーに出て、アピア2とアピア3との間の広い道路(通称・市役所通り)を東へ250メートルほどいく。消防本部と神戸屋、スーパー万代が見えます。そこを右に折れて、中津浜線を小林方面へ行くと伊藤整形外科があります。そこの道路をはさんだ向かい側に「女性の書斎・ひとり好き」があります。

2009年9月28日 (月)

野球とサッカー、モルフォロギー(形態学)から見た相違点

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   日本で人気のスポーツといえば野球とサッカーである。その魅力と人気の秘密を解明することは興味あるテーマであるが、ここではモルフォロギーの観点から考察する。モルフォロギー(Morpolgie)とは、型や像を意味するギリシア語の女性名詞「モルペー」に由来し、形態学と訳される。むかしから運動競技の形態を大きくコンテスト(競技)とコンバット(戦闘)の二つに分ける分類法がある。前者は、競技で相手の妨害をうけることなく、自分の能力を十分に発揮できる形のものであり、後者はいうまでもなく、相互に直接的な妨害を許されて行われる争いである。サッカーは11人からなる各々2チームが手を使わない(ゴールキーバーを除く)で相手チームのゴールへボールを入れ、得点を争う競技であり、あきらかなるコンバット形式であるといえる。野球は1チーム9人からなる2チームが、ダイヤモンド形のフィールドにおいて交互に攻撃・守備をおこない、得点を取り合うものである。よく総力戦などと表現されコンバットのように見えるが、運動形態学から考えると、歩・走・跳・投・打などの運動の基本動作が妨害を受けることなく自己の能力を発揮できる状態にあるという観点からコンバット形式とはいえない。

すなわち運動競技をその特性に着目して、下記の7分類に区分して考察してみよう。

非競争的個人的運動・・・ラジオ体操、ストレッチ

非競争的対人的運動・・・社交ダンス

非競争的集団的運動・・・フォークダンス

直接的個人的競技・・・相撲、柔道、剣道

直接的集団的競技・・・ラグビー、バスケットボール、サッカー

間接的個人的競技・・・体操競技

間接的集団的競技・・・バレーボール、野球

   以上、運動形態学による分類によれば、サッカーは直接的集団的競技、野球は間接的集団的競技ということになる。

2009年9月27日 (日)

北千島にとどまった最後の日本人

Img_0010 別所二郎蔵一家

    上の図版は何日頃撮影されたか不明ではあるが、戦前の北千島、占守島の住んでいた数家族の写真である。(「写真と解説・北方領土」国土復帰推進協力会、昭和50年)中央で子どもを抱いている男性が別所二郎蔵(1907-1976)であろうか。

    明治26年、郡司成忠海軍大尉が報効義会を組織して千島の占守島に乗り込んだ。その中に二郎蔵の父、別所佐吉(1863-1935)がいた。日露戦争後も郡司の遺志を継いで別所佐吉と所三造の2家族等14人は占守島に残った。佐吉は別飛河畔の漁舎に住んで永住を決意し、家族を育てながら北千島の開発を続けた。二郎蔵も占守島で生まれ育った。やがて結婚し、妻和子と幼い子どももできた。写真は昭和10年代頃のものであろう。昭和20年8月18日、ソ連が攻めてくるまで別所二郎蔵は占守島にいた。北千島にとどまった最後の日本人である。一家6人は引き上げて北海道の根室に住んでいたという。

女子高生の噂話

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   愛知県豊川市で昭和48年12月に起こった本当の話。女子高生数人が車内で自分達の就職先の話をしていた。豊川信用金庫が就職先としてどうであるかで盛り上がっていた。豊川信用金庫は愛知県豊川市に本店を置く信用金庫で、通称「かわしん」といい、現在も営業している。ひとりの女子高生は、からかいながら「豊川信用金庫は危ないよ」と話していた。これは強盗などに襲われることがあるという意味で言ったが、他の女子高生は、この話を家に帰って親にした。親は豊川信用金庫に預金があったため、急いで預金をおろした。この噂が小坂井町近辺に広がり、血相を変えた預金者が続々と押しかけた。そして、その行動が市内全体に広がり、短期間に約20億円もの預貯金が引き出されるとう取り付け騒ぎに発展した。事情を調査すると、もともとは単なる女子高生による噂話が火元であった。流言蜚語、デマの恐ろしさを物語る事件であった。

チップス先生さようなら

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    1933年、若くて売れない小説家ジェームズ・ヒルトン(1900-1954)はクリスマスの特別付録用の小説をある雑誌社から依頼された。原稿の締め切りまで僅か2週間しかなく、焦ったヒルトンは、自分のパブリック・スクールの体験をもとにわずか4日で書き上げた。生真面目で堅物の教師チップスは、生徒たちから見ると退屈で人気がない。そんなさえない教師が運命の女性に恋をして、結婚して、校長にまでなるまでの心あたたまる一教育者の話を書いた。この風変わりな小説が思わぬ評判を呼んだ。英語版で22版を数え、1937年にはロンドンで舞台化、さらに1939年ロバート・ドナットで映画化された。ジェームズ・ヒルトンは本作「チップス先生さようなら」で一躍ベストセラー作家となった。代表作には「失われた地平線」「心の旅路」などがある。

2009年9月25日 (金)

槿花一日の栄

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  左からキム・チャンオク、高橋尚子、甲斐智子

   スポーツの世界では、脚光を浴びるスーパーヒーローの陰にかくれ、その功績が全く忘れ去られる人がいる。女子マラソンの甲斐智子の名を知る人は今日どれだけいるだろうか。

    シドニー・オリンピックは史上最強の女子マラソンの日本代表トリオといわれた。その中に甲斐智子の名はない。高橋尚子、山口衛理、市橋有里であった。実力もさることながら、美人揃いであることが男性の女子マラソンへの関心を高めた。しかし彼女たちに勝るとも劣らぬ可愛さの甲斐は不運が続いた。98年の名古屋、98のアジア大会、2000年の名古屋と3度高橋尚子と戦って3度とも敗れた。彼女の全盛期は高橋尚子と全く重複していたのも不運であった。1998年のバンコクでのアジア大会。高橋が猛暑のアユタヤを独走して一躍ヒーローとなったレース。この試合も甲斐は粘って2時間35分01秒で第3位で銅メダルに輝いた。しかし翌日の新聞には高橋一色で、甲斐の記事はほとんど無かった。いま思えば、甲斐智子は朝開き夜しぼむムクゲの花のような短い選手生命だった。「槿花一日の栄」しかし、その美しさは永遠に忘れない。

一枚の葉っぱ

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   新古典主義と呼ばれる日本画家・安田靫彦に入門してまもない女流画家・小倉遊亀は、下図さえ描けないほど悩んでいた。「私には絵を描く天分があるのかしら?」と思わず口走ったとき、絵筆を動かしておられた師靫彦が筆をおいて、静かな口調で言った。「一枚の葉っぱが手に入ったら宇宙全体が手に入ったのと同じだよ」と。その一言で遊喜は105歳になるまで絵を描き続けられた。座りづめで、ひざの骨が変形し、車椅子生活となったが、最晩年まで絵筆をとり、一枚の葉を追い続けた。

2009年9月24日 (木)

横光利一の欧州俳句紀行

Photo 欧州旅行時のパスポート

    横光利一(1898-1947)は芭蕉を深く敬慕し、約400句近い俳句を残している。昭和11年には新聞社の特派員として、ベルリンオリンピックの観戦のためヨーロッパ旅行を初体験する。アジア、アフリカの港に立ち寄りながら地中海に入って、1ヵ月余りかけてマルセイユに着いた。次のような渡欧の船上での句が残されている。

  王の夢むかしの夢のスフィンクス

  紅き海名のみにすぎぬ夏の空

  石に残るアラビア文字の懐かしき

  コンコルド女神老けにし春の雨

  シャンゼリゼ驢馬鈴沈む花曇

  俳句のことはよく判らないが新感覚派の旗手にしては、いささか月並みな句のように思える。利一の渡欧生活は楽しいものだったのだろうか。本業の小説のほうは、この渡欧体験から長編小説「旅愁」が10年の歳月を費やして書き継がれるが、未完のまま没した。利一は異国の地で、西欧文化に対して日本の美的倫理を再認識したそうだ。パリでの日記には「ここの事は書く気が起こらぬ。早く帰ろうと思う」「巴里にいると、日本の田舎の温泉に行きたくて仕方がなくなる。」とある。

2009年9月23日 (水)

恐怖の口裂け女

    新型インフルの流行でマスクをする人を見かけるようになった。マスク姿には恐怖をおぼえる。昭和53年12月ごろのことだ。岐阜でこんな噂が起こった。夕暮れになると、白いマスクをした若い女性が街頭に現われ、通りすがりの人に、「私、きれい?」と話しかけ、突然マスクを取ると、その口は大きく耳ので裂けている。通行人は驚いて逃げると、赤いマントから鎌を出して追いかけてくる。必死に走るが追いつかれると、噛みつかれて、低い声で笑い出して、その場を走り去っていくというのだ。金品が奪われるケースもある。この話はたちまち全国に広がり、テレビのワイドショーにも取り上げられた。女はサングラスをかけているが、外すと大きな眼の美人だ。爪はマニュキアがしている。いつとはなく、口裂け女の噂はデマであることが判明し、誰も信ずる人はいなくなった。

2009年9月22日 (火)

連続ドラマの終わり

   NHK連続テレビ小説「つばさ」もいよいよ最終週「二度目の春」が放送されている。蔵造り通りに戻った老舗和菓子屋「甘玉堂」、ラジオポテトも川越キネマの場所に残ることができた。つばさの周りの人々もそれぞれの道を歩んでいる。翔太、真瀬も新しい道を探した。だがつばさと加乃子の問題だけが残されていた。ラストでつばさがどのようにはばたくのか…興味が残されている。でも脚本家やプロデューサーのいう「泣けて笑えるドラマ」というふれ込みではあるが、泣くことも笑うこともできないドラマだったような気がする。それに比べて韓国ドラマ「空くらい地くらい」(BS朝日で放送中)は140話を超えてますます内容は膨らんでいく。ムヨンの実母ジンスクとジス(ハン・ヒョジュ)が対面する場面。ジンスクはジスに赤ん坊の時のムヨンの産着や育児日記を渡す。手形と足形がある。「あなたは大切な存在」という回の挿話だが、感動的なシーン。ムヨンは自分が捨てられたと思い悲しんでいた。この話は少し「つばさ」とも共通する。「空くらい地くらい」では具体的にグッズで母の愛情を表現してくれた。それを受け取ったジスはムヨンに見せて、ムヨンは「俺がまた落ち込んだとき、そんなことは無いと思うけど、そんなときまた見せてくれ。それまで預かってくれ」という。ジスも軽くうなずく。このような何気ない会話がいい。もちろん韓国ドラマなので主役のパク・ヘジンとハン・ヒョジュのラブラブがイイ感じでないとドラマは成り立たない。「つばさ」は多部未華子と翔太、真瀬との愛情関係に距離があり、恋愛未満だったことがドラマが盛り上がらない一番の要因であろう。多部未華子は清楚ないい女優だと思うが、今後女優として一皮むけてほしい気がする。

2009年9月19日 (土)

いろは歌の作者は本当に柿本人麻呂か?

   日本人なら誰でも知っている「いろは歌」。この歌の作者は、俗説ではあるが弘法大師の作とされている。ところが、古くから伝わる万葉がなで書かれた「いろは歌」はみな7字区切り。わかりやすく7字区切りの7行で記してみよう。

  いろはにほへ
  ちりぬるをわ
  よたれそつね
  らむうゐのお
  やまけふこえ
  あさきゆめみ
  ゑひもせ  

  各行の末尾の1字を並べると「とかなくてしす」、すなわち、

「咎なくて死す」

  身に覚えのない罪、無実の罪によって死に追いやられた怨念が込められた歌なのだ。万葉の歌人で、該当する歌人といえば、柿本人麻呂である。理由としては人麻呂には同様な言葉遊びに類する歌が多くみられる。もう一つの理由として考えられるのは人麻呂は島根県邑智郡邑智町湯抱の鴨山で刑死されたという。いろは歌に怨念が隠されていたことは学者たちは知っていたらしい。江戸時代の貝原益軒は手習いには「あいうえお50字」をすすめたのもそのためと考えられる。だが古代音声学でいうと現代の音と万葉期の音とは相当に違いがあり、「いろは歌」トリック説はかなり珍説のたぐいであろう。(参考:篠原央憲「柿本人麻呂いろは歌の謎」)

2009年9月17日 (木)

秋扇

Ougiaki

 

    77パーセントという高い支持率の鳩山内閣が始動した。新人議員、田中絵美子や福田衣里子の国会初登院姿もういういしい。4年前、小泉チルドレンの佐藤ゆかり、片山さつきを思い出す。夏の総選挙が終って、季節はもう秋。まるで使わなくなった扇がひっそりしまわれるような寂しさである。

 

  一夜明けて忽ち秋の扇かな
                  虚子

2009年9月15日 (火)

雨でも降れば

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  韓国ドラマ「空くらい地くらい」第132話「心のトゲ」まで視聴。終盤にさしかかり感動的な場面が多い。養父テシクはムヨンの伯父に会い、骨髄提供の話を聞かされる。人のいいテシクもあまりの身勝手な話に怒る。そのことをムヨンに話す。「お前に助ける義務はない」と。しかし、ムヨンの心中は苦しむ。ボンレに人助けを第一に考えてはどうかと諭される。ついにムヨンは病院に行き、セジュンへの骨髄提供を決意する。

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          雨でも降れば

元気にしているかい?
連絡がないから心配だ
君の声が聞きたくなる そんなときは
電話の受話器を取り
独りで会話をしてみるんだ
「僕は淡々とした日々を送っている」
でもそう言ってしまうと本当にそうなりそうでイヤだ
雨が降る日には
雨の中で思いっきり泣くよ
しばらくそうして流れゆく雨と共に
思い出のすべてを流してやるんだ
いつの間にか まぶしい太陽が顔を出していた
まるで何もなかったかのように
ぬれていた世界が乾いていくだろう
痛い心の傷も一緒に 雨がやめば…
なぜ別れって こんなふうに
僕の笑顔をすべて奪っていくのだろう
笑い方さえ すべて 忘れてしまった
君は本当に幸せなのかい? 僕なしでも
ちゃんと暮らしているのかい?
時々でも 僕のことを考えたりしているかい?
僕はそうさ 君のことを考えると いつもそうなんだ
君のいない一日は長くて
君の顔が 思い出されて
時間が経てば平気になるさ
でも時々 とても君が恋しくなると そのときに
雨が降りそうで
しぱらくそうして流れてゆく雨と共に
思い出のすべてを流してやるんだ
いつの間にか まぶしい太陽が顔を出していた
まるで何もなかったかのように
ぬれていた世界が乾いていくだろう
痛い心の傷も一緒に 雨がやめば…

2009年9月14日 (月)

初秋の公園

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    近所の末広中央公園でパチリ、カメラ小僧。宝塚市役所の北にある公園へお昼ごろ行きましたが誰もいない。ステージや遊器具も充実しているが、いつも静かです。完成して数年なので樹木がまだ育っていないが、これから成長すれば緑ゆたかな公園になるでしょう。太陽光発電システムも完備されています。

P9140012 P9140015 P9140018 「人と自然がふれあう心豊かな美しいまち」という宝塚のキャッチフレーズどおりでした。

2009年9月13日 (日)

浪華新町の桜木太夫

Photo 往時の風情を今日に残す島原輪違屋

    「上戸かわいや丸裸」という言葉がある。タレントの上戸彩が可愛くて丸裸にしたいという意味ではない。上戸(じょうご)、つまり酒好きは衣類まで酒代にしてしまうので、いつも丸裸という意味である。幕末京都では遊郭が賑った。上戸彩が演じた浅田次郎の小説「輪違屋糸里」も幕末の芸妓。糸里は歴史上の人物だが、輪違屋にいたという記録は残っていない。輪違屋で有名な芸妓は桜木太夫である。幕末の桜木太夫は桂小五郎、伊藤博文の愛妾であったが、伊藤の死後は、尼となり京都西賀茂に隠棲した。
     桜木太夫という源氏名は由緒ある名らしく、同名の芸妓が大坂でも実在していたそうだ。享和3年(1803)の夏。浪華新町の遊郭で「桜木太夫」と呼ばれ、一時は全盛を誇った売れっ子であったが、不幸が続いて落ちぶれ、大川にかかった難波橋の南詰めで、あま酒を売ってなりわいとするほどになってしまった。しかし、零落したといっても、かっては廓中の人気をひとり占めした美妓。残り香もなまめかしい肢体が、人目をひきつけぬはずがない。そのなりゆきは、評判となり、だれいうとなく「太夫あま酒」「美人あま酒」と呼ぶようになり、若衆たちはひと目、色の白い「あま酒菩薩」をおがもうと、飲みたくもないあま酒をすすりに、われもわれもと押しかけるありさま。ついには、難波橋畔の美人あま酒を売る図として錦絵にまでなった。ある俳人の句に、「花はむかし名は桜木の一夜ざけ」とある。
(参考:永山久夫「酒雑学百科」河出文庫)

2009年9月12日 (土)

磔、ギロチン、切腹、火あぶり、死刑いろいろ

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    ある学者は「人とサルとが本質的に違うのは、サルは死刑という制度をもっていないことである」と言っている。人類は文明が進むと同時に死刑制度を定めたが、その方法にはいろいろな種類がある。世界史上で最も残酷な死刑は轘刑(車裂き)である。古代中国では、首や手足に縄をかけ、4~5台の車で四方に曳き、身体をバラバラにするという極めて残酷な死刑方法が実行されていた。おそらくこのような残酷な刑罰は先秦時代までであろう。漢代では漢律が整い、死刑は梟首、腰斬、棄市(磔)の三種と決められていた。車裂きの刑はヨーロッパでは近代法が整備されるまで行われていた。日本では豊臣秀吉の時代、石川五右衛門の釜ゆでなど、残酷な刑を6歳の子どもにまで科したという記録が残されている。

   世界的にみて近代以前の罪人処刑の方法として最も一般的な方法が、磔刑である。イエス・キリストが処刑されたことでよく知られるが、起源は古代オリエントからあり、アッシリア人、エジプト人が考案した。斬首は古代ローマ人が考案したものであるが、のちにヨーロッパでも広まり、フランスでは18世紀ギロチンを使うようになった。絞首刑はアングロ・サクソン系の民族が用いて、新大陸の西部劇映画などでもよく見ることがある。

    切腹という日本の独特の腹切り刑は、世界でも珍しい死刑方法である。江戸時代、武士には死刑のかわりに自殺を強制した制度である。ヨーロッパでは15世紀末から、宗教上の異端者に対して火あぶりという処刑法を用いた。魔女狩り裁判といわれる宗教弾圧が最高潮に達したのは1580年から1670年にかけてのことである。ドイツではこの時期に少なくとも3200人以上が処刑された。ヴィーゼンタイクの町では、1562年の1年間だけで63人の女性が妖術使いの罪で火刑になった。

徐悲鴻

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    徐悲鴻(1895-1953)は現代中国美術における洋画家の第一人者であるが、伝統的な筆墨を用いた国画も描いた。彼は馬を好みよく奔馬を描いている。

2009年9月11日 (金)

戦後日本初の金メダル選手は誰れ?

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  戦後日本国民を熱狂させたフジヤマのトビウオ古橋広之進の活躍は誰しも知っているだろう。だがレスリングの石井庄八(1926-1980)の活躍はどれほどの人が覚えているのだろうか。

   昭和27年7月、フィンランドの首都ヘルシンキでオリンピック第15回大会が開催された。日本は戦後初の参加で、戦前ベルリン大会以来16年ぶりに参加した。だが競泳王国を誇った水泳陣は金メダルを一つも獲得できず、1500メートル自由形の橋爪四郎ほか銀メダル3個にとどまった。一方、あまり期待されていなかったレスリングが好成績をあげた。フリースタイル・バンタム級に出場した石井庄八が日本人選手では唯一金メダルを獲得した。得意技はすばやい動きからの投げ、返し技。特に優勝候補と言われたトルコの選手を破った三回戦の返し技、決勝戦でソ連のマメドベコフを追いこんだ寝技から腕固めの連続技は鮮やかだった。石井は後にコーチ、レスリング協会常務理事として、笹原正三らの名選手を育てあげた。

2009年9月10日 (木)

アクティブに生きる宝塚らしい読書スペース誕生

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   ヴォイラ秋号が届きました。文化の薫る街にふさわしい豪華に情報誌。でも残念ながら「女性の書斎ひとり好き」は広告経費節約でまだ掲載していません。いつかこういうタウン誌に載ることを夢みています。「てくてく」というタブロイド新聞にもまだ一度も登場していません。今日は「まちれぽ宝塚」「まいぷれ」という地域情報のかたが来られました。最近は携帯で情報を探す人もふえているようです。いまのとこFM宝塚(コミュニティ放送)に出演して、女性の書斎ひとり好きの情報をお知らせしています。次回の放送日は次のとおりです。

10月5日(月)エフエム宝塚835「とれたて街角リポート」午前10時からの放送で「女性の書斎ひとり好き」が登場します。

   短時間でリスナーに言葉でどれだけ届くか、生中継で勝負です。

姦通罪と掠奪婚

   有島武郎(1878-1923)は大正12年軽井沢別荘で波多野秋子と情死した。有島の死は彼女の夫波多野春彦から姦通罪をもって脅迫されたことが、直接的原因とされている。ところで有島の代表作「或る女」のヒロイン葉子をスキャンダル記事で追い込む田川法学士夫人のモデルは鳩山一郎の母・鳩山春子(1863-1938)だといわれている。有島は社会主義高揚期にあって、ブルジョワとプロレタリアとで苦悩し、鳩山一族をブルジョワの代表して考えたのであろう。100年経っても日本一の政界の名家は健在だった。鳩山由紀夫の内閣総理大臣誕生の日が来るのは近い。ファースト・レディは鳩山幸。鳩山幸は上海生れの神戸育ち。「若みゆき」という名で宝塚歌劇団で娘役として活躍していた。退団後、渡米し、サンフランシスコでレストランを経営する日本人男性と結婚。ところが、その3年後に留学生・鳩山由紀夫と出会って不倫関係となる。2人はそのまま日本に帰国。つまり留学先のお世話になった人と奥さんを奪ってしまったことになる。いまだから掠奪婚ですませられるが、むかしでいう姦通罪である。あの有島武郎が心中におついめられた行為が、名家鳩山一族ならば許されるという日本社会がなんとも言葉にないものを感じている。

2009年9月 9日 (水)

瞼の母に会うムヨン

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    韓国ドラマ「空くらい地くらい」には、見所が随所にあるが、ムヨンの産みの母と出会うというのはドラマのクライマックスだろう。その実母イ・ジンスクが登場する。再婚して小さな子どもがいるが、難病で骨髄移植のためドナーをさがしている。そのためムヨン(パク・ヘジン)に連絡をとる。これからどのような展開がまっているのか。それだけでも大変なのに、ジス(ハン・ヒョジュ)がムヨンにプロポーズをする。NHK連続テレビ小説「つばさ」と平行して見ているが、ヒロインつばさに比べて、ジスは自立した強い意志を持って行動する理想的な女性である。

   育ての母(チョン・エリ)と実母(イ・ヘスク)との間で悩むヘジン君だが、どうしても韓国ドラマは女優さんに目がいく。チョン・エリは新珠三千代に似ているが、イ・ヘスクは萩尾みどりに似ている。そっくりというわけではないが、どことなく雰囲気が似ている。イ・ヘスクは日本人好みの顔立ちだと思うが、田村正和主演の「ニューヨーク恋物語」(1988年)など日本のドラマに李恵淑の名で出演していたことがある。元祖韓流女優である。

2009年9月 8日 (火)

漢代随一の美女・趙飛燕

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    漢代で一番の美女は誰か?前漢の成帝(前52-前7)の皇后である趙飛燕は生まれは卑しいが、歌舞に長じた絶世の美女であったといわれる。
    成帝は元帝が崩ずると即位するが、酒色にふけり、密かに遊里に遊んだ。そこで趙飛燕を見初めた。趙は妹・合徳とともに後宮に迎えられた。やがて許后が廃されて、太后の反対をおして皇后になった。その後、10年以上も姉妹で寵愛を受けたが、日ごろ頑健な帝の急死にいまわしい評判がたって趙合徳は自殺した。次の皇帝はかつて買収された彼女の口ぞえで太子を獲得した哀帝だったので、太后の地位を得たが、平帝の世になると、王莽の上奏で庶民におとされ、ついに妹と同じように自害する。

    唐の詩人李白は、「可憐の飛燕、新粧に倚る」(楊貴妃の美しさはあの趙飛燕が化粧しても及ばない)と歌ったが、高力士が「身分の低い趙飛燕をあなたになぞらえるのは、あなたを侮辱するものです」と楊貴妃に讒言し、李白は都長安を追われ、放浪の身となった話は有名である。

つぶし島田

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    東海道の島田宿からつぎの金谷宿まではわずか一里であるが、途中に難所の大井川がある。
    「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
    江戸時代、島田宿は川越宿場として栄えた。さぞや遊女屋もあったろう。江戸時代に流行った「島田まげ」は、この島田女郎衆の結っていたのが全国に広まったといわれる。万治年間ごろから根の低い「つぶし島田」が流行した。「島田まげ」は主として未婚の女性が結った。とくに婚礼の髪型として知られる「文金高島田」は根を高くしたものである。

韓国映画界の宝石チャン・ジニョンの死を悼む

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    女優チャン・ジニョンは9月1日16時、「菊花の香り」のヒジェと同じ病気で亡くなった。35歳というあまりに若すぎる死に言葉がない。故人のご冥福をお祈りいたします。

    スタイルもよく、表現力もあり、飾り気のないジニョンはまさに韓国映画界のトップ女優だった。映画「反則王」や「サイレン」などの脇役で徐々に日本でもその名前を知るようになったが、2001年の「鳥肌」で映画界の星となった。韓流ブームで「オーバー・ザ・レインボー」「シングルス」「菊花の香り」の恋愛路線での美しいヒロイン役で日本でも隠れ男性ファンは多い。「青燕」で朴敬元を演じて注目していたが、なかなか日本公開が決まらず、公開期間も短く見逃してしまった。続く「恋愛、その耐えられない軽さ」も好評だった。闘病を支えた恋人キム・ヨンギュンとは今年7月26日ネバダ州の教会で挙式したばかりだった。それにしても神様はなぜ韓国の美しい女優を天国に連れて行ってしまうのだろうか?チェ・ジンシル(「嫉妬])、チョン・ダビン(「屋根裏のネコ」)、イ・ウンジュ(「スカーレット・レター」)もっと作品を見たい女優ばかりだ。

2009年9月 6日 (日)

不倫と純愛のあいだ

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   男と女が初めて出会ったのは、人影のない手術室前の廊下だった。配偶者の事故の知らせを聞き病院にかけつけたインス(ペ・ヨンジュン)とソヨン(ソン・イェジン)。どちらも意識不明の重態で、不倫関係にあったことを知る。病院の近くのモーテルに部屋をとり、それぞれ妻と夫の看病をしながら二人は同じ時間を共有していく。インスは同じ境遇に置かれたソヨンに惹かれ始める。事故からほぼ1年が経ったころ、インスは妻と別れた。そのとき4月なのに雪が降ってきた。インスは三陟(サンチョク)で4月に降ったあの雪を思い出した。インスはジャケットのポケットから携帯電話を取り出して、電話する。インスは、どのような思いでこの雪を眺めているのだろうか。そして、ラストシーン。車中の2人はこのままどうなるのか。その解釈は観客に委ねるということであろうか。身を切られるほど切ない大人の純愛物語である。

  ホ・ジノ監督の第1作「八月のクリスマス」は、八月に偶然知り会った男女の、恋愛までの、恋の予感を感じさせる時期の物語である。そして第2作の「春の日は過ぎゆく」も、ふとしたことで知り会った男女が恋人同士になったあと、またふとしたすれ違いで別れてしまう、ただ、それだけの話である。ホ・ジノの世界は何も起こらない日常の小さなドラマといわれる。だが何ともいえない、情感と余韻のある恋物語である。

大樹になったケペル先生

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   宝塚・逆瀬川駅にある「女性の書斎ひとり好き」はアット・ホームな雰囲気の中で芸術・文化に親しみながら読書が楽しめるスペースです。美術・歴史から趣味・生活まで魅力ある蔵書構成で9000冊以上あります。平日は女性専用なので、安心して読書に集中できます。入館料200円で何時間いてもOKです。

    先日(9月4日)朝日放送「おはようコールABC」の名物コーナー「山口が行く」で女性だけの読書スペースとしてご紹介いただいてから、かなり遠方からのご来館者もあり、入館者の増加に驚いています。ただ当店は駐車場のスペースはありません。駐輪場はありますのでバイク・自転車なら数台分置くことができます。

   テレビの最後にコメンテーターの井上章一先生がニヤニヤしながら、「そうか、そんな方法があったのか(女性と共有する空間がつくれるのか、という意味)」と言っていました。男性軍からよくその点を揶揄されます。男性に事業の話をするといつもからかいのターゲットになります。事実、「女性の書斎・ひとり好き」はケペルの研究室でもあり、女性たちと一緒に読書しています。69㎡とそれほど広いスペースではないので、若い女性の空気を毎日いっぱい吸っています。自分は大樹のような気がするのです。利用者は今のところ子どもは無料なので一番多いですが、10代の女性も多いです。グループで誘い合ってくるようですが、真面目な子たちですね。とても静かに本を読んでいます。コミックを読むのかと思ったら、意外とお勉強の本でノートを取り出しては、書き留めているのです。彼女たちは学校図書館の経験や図書の時間というのがあった記憶が近いので、比較的このような私設図書館に抵抗感なく利用できるようです。一般の人や年齢が高くなるほど利用が少なくなるのは、やはり有料制ということで入館には慎重になっているようです。

   女性限定というのは当店の売りなので、これを堅持します。ただし、土曜・日曜は男性も利用できるようにしています。いまのところ、男性で入館された方はほとんどありませんが。「女性の書斎」という大きな看板が目立つので、シャイな男性はしり込みするようです。

    韓国ドラマ「秋の童話」にこんなセリフがありました。

「お兄ちゃん、もし生まれ変わるなら何になりたい?」

「お前は?」

「私は木になりたい」

「木に?」

「そうだよ。一度根を下ろしたらどこへも行かずにすむ。誰とも離れずにすむから」

  ウンソ(ソン・ヘギョ)の変わることのない愛を木で表現した、印象深いセリフです。たしかに別れほど切ないものはありません。秋になるとますます人恋しくなります。私も植物のように生きたいです。意識の深い場所に根をおろして生まれるための養分を吸い出す。どんなに風が吹いても枝だけを揺らし根元はびくともしない堅固な大木になりたい。そのまわりに花の妖精たちがいつも集まってくるような永遠の時をいつまでも過ごしたい。

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2009年9月 4日 (金)

ジーン・レオン・ジェローム

Img_0011 ジェローム 「二王者」 ミルウォーキー美術館蔵

   ジーン・レオン・ジェローム(1824-1904)は、フランスのアカデミックな写実画家。

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2009年9月 3日 (木)

女性の書斎・ひとり好き

    昨日はNHKラジオ第一放送「関西ラジオワイド」でケペルが経営する「女性の書斎・ひとり好き」のことが紹介されました。「オススメの珍しい本は?」という質問には、雑誌「映画の友1953年から1957年」の製本したものを紹介しました。事前の打ち合わせの際に「映画の友は今もでていますか?」と尋ねられ、「いえ、ずっと昔に廃刊になっています」と答えた。あとから考えると、さすがNHK、今も出でいる雑誌だと商品の宣伝になるのでマズイのだろう。絶版ならOKなんだ。生中継のリポーター・岸有佳里さんがとても美しいお声でした。

 

    明日4日(金)は、ABCテレビ「おはようコールABC」で午前5時20分頃のコーナー「山口が行く」で当店が紹介されます。これに先立って先日番組の収録が行われました。お綺麗なアナウンサーの山口奈緒美さんを間近で見れて、とてもシアワセなひとときでした。内容は漫画家平井房人の「思ひつき夫人」(大阪朝日新聞連載)やゴッホ関係の本を紹介。面白い本はいろいろあるので番組によって変えて紹介します。どんな風に編集されているのか、見るのが楽しみです。朝から早い番組ですが、関心のある方は御覧ください。

 

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「女性の書斎」への交通経路
   阪急逆瀬川駅改札を出て、右手の市役所出口(東口)から逆瀬川駅前交差点にあるアピア2とアピア3との間の市役所通りを東へ徒歩10分ほど行くと正面に神戸屋が見えます。消防本部とスーパー万代の交差点を右に曲がり、「中津浜線」を小林方面へ行くと伊藤整形外科が見えます。その病院の道路をはさんだ向い側にあるのが「女性の書斎・ひとり好き」という小さな店です。

2009年9月 2日 (水)

見るべき程の事は見つ

   NHK連続テレビ小説「つばさ」。斎藤(西城秀樹)が川越を去る。つばさ(多部未華子)は加乃子にDJをさせることを思いつく。そんな時、ラジオ-ぽてとのメンバー、伸子、ロナウ二郎、浪岡たちもそれぞれの目的で去っていくという。物語りも終盤に向かっていく。「見るべき程の事は見つ」平家物語の新中納言、平知盛の最期の言葉だ。「見届けなければならないことは見終えた」だがこの後に続く言葉がある。「今は自害せん」と言って、知盛は入水するのだ。「平家物語」を知るものには、この言葉はいささか重すぎてあまり楽しめない。つまりこれは脚本家や演出家たちの視聴率が取れない達観からきた言葉なのかもしれない。あるいは視聴者たちもドラマ「つばさ」に対して「見るべき程の事は見つ」という気持ちかもしれない。「つばさ」はハートフル喜劇か悲劇か知らないが、最後のドンデン返しを待つしかない状況だ。

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