隠者を尋ねて遭はず
中唐の詩人・賈島(779-843)の詩に「隠者を尋ねて遭(あ)はず」がある。隠者とは、隠遁生活をしている人という意味よりも、唐代では高潔の士で理想的な人物と讃えられる風潮があった。官吏を辞して、田舎に住み、とくに決まった仕事もせずに、一日自然とともに閑適生活を愉しんでいる人である。
松下 童子に問ふ
言ふ 師は薬を採りに去ると
只 此の山中に在らんも
雲深うして 処を知らず
この漢詩を読むと劉備が孔明の草廬を尋ねた「三顧の礼」の故事を思いうかべる。隠者の山荘を尋ねて行く。松の木の下に立っていた召使の子どもに、「先生は」とたづねた。「先生は、朝はやくから出かけた」「いつごろかえってくるでしょうか」「さあ、わかりません。いつも、ふいっと出かけられて、1ヵ月も半年もおかえりにならないときがあります」このような三国志でのやりとりを思い出させる味わい深い詩である。
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