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2009年8月10日 (月)

第二のジェームズ・ディーン俳優の現在

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パトリシア・ゴッジとディーン・ストックウェル

    第2のジェームズ・ディーンと騒がれた青春スターは多数いるがその後どうなっただろうか。ディーン・ストックウェルは1936年生まれの73歳。「息子と恋人」(1960)や「かもめの城」(1965)でスターとなった。「アンネの日記」のミリー・パーキンスと結婚したが、その後あまりパッとした活躍はなかった。ウィキペディアの項目にその名前は無いだろうと思ったが、あった。なんと彼は80年代に入りデビィッド・リンチ監督作品に出演し、名脇役としての地位を確立して現在も活躍している。もともとハリウッドの名子役で「錨を上げて」(1945)や「紳士協定」(1947)などの名作にも出演しているディーン・ストックウェルは息の長い役者人生を送っていた。

   クリストファー・ジョーンズは日本ではよく知られた二枚目俳優である。ジェームズ・ディーンの再来といわれた。映画「ライアンの娘」は公開当時イギリスやアメリカでは巨匠デヴィッド・リーンへの過大な期待から酷評だった。しかし日本では好評だった。なかでもイギリス将校ランドルフに扮するクリストファー・ジョーンズは女性の心を鷲づかみにした。ところが彼はその後、忽然と姿を消した。何十年たってようやく舞台の端役をしている情報が入った。そして日本未公開の映画にも出演している。クリストファー・ジョーンズの失踪はいまだ謎に包まれている。おそらくピア・デゲルマルクとの恋が関係していると想像したい。2人は「鏡の国の戦争」や「さよならを言わないで」で共演している。当時2人の恋の噂はあった。だがピアは貴族と結婚し、離婚。拒食症となり、同じ病気の人を救う目的で基金を設立したが使途不明金、虚偽申告で訴訟問題へと発展。私財が無くなり、薬物中毒となり投獄される。そのようなピアの没落人生のため、人生に悲観したクリストファー・ジョーンズも映画界から離れたのではないだろうか。ジョーンズは2014年1月31日、癌による合併症で72歳で亡くなった。

Img_0010 ピア・デゲルマルク

   クリストファー・ジョーンズの生い立ちを紹介しよう。1941年8月18日、アメリカ、テネシー州ジャクスンに生まれた。3歳の時に母を亡くし、それから後11年間をメンフィスの孤児院で過ごした。ハイスクールを卒業後2年間の軍隊生活を経てニューヨークのYMCAで暮らした。ここで始め画家を志して勉強をしたが、のちに俳優志望に転換、有名なアクターズ・スタジオに学んだ。そしてニューヨークの舞台で様々な端役を演じ、それからハリウッドに行ってTVシリーズ「西部の流れ者ジェシー・ジェームズ」に出演。この好演によって映画「青春の海」(1967)でデビュー。その醸し出す孤独感、憂愁を含んだ眼差しは女性のハートを大いに揺さぶった。私生活ではアクターズ・スタジオの校長の娘スーザン・ストラスバーグ(「女優志願」)と結婚するも、離婚した。その陰にはピア・デゲルマルクとの恋があったと推測する。

主要出演作品「青春の海」(67)「熱い肌」(68)「狂った青春」(68)「鏡の国の戦争」(68)「さよならを言わないで」(70)「ライアンの娘」(70)「マッド・ドッグズ」(1996)「ユーガット・サーブド」(2004)

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

 ク~! クリストファー・ジョーンズ・・・懐かし過ぎます(^^)。 『ライアンの娘』は、ランドドルフも良かったけど、アイルランドの風景、特に海辺の映像が最高でしたね。ロバート・ミッチャムの、あの眠そうな顔、サラ・マイルズの特徴のない薄情そうな(それが特徴かも)顔。
 なんか孤児院の出が薄幸な印象が日本人に与えてましたね。あの足の悪いランドルフ役ははまってましたし、日本人受けする俳優として人気が出ると思ってましたが・・・。確かリー・ストラスバーグの娘でスーザン・ストラスイバーグ(だったかな?)と結婚してたように思いましたが、思い違いかな・・・結婚じゃなく、交際してたのかな?

大雪の降った2月8日、何十年ぶりかにライアンの娘を見てドリアン大佐の孤独で繊細な佇まいに、引き込まれ魅了され、映画の余韻がまだ冷めやらぬ今日、演じたクリストファージョーンズの訃報を知りました。あの美しさと、眼差しは彼でなければ醸し出せなかったでしょう。永遠に心に残りますね

失礼しました。ドリアン少佐でした。ライアンの娘を初めて見たのは、まだ何もかも新鮮で感受性豊かな10代の頃。あの森の中での美しい結ばれる場面と、村人たちに凄惨な制裁を受けるロージーと、それを庇って止めようとした夫が、男達に組み伏せられ、晒し者にされるロージーから目を背けるシーンが、強烈に印象に残りましたが、今、改めて見ると、ドリアン少佐の痛々しいまでの戦争による心の傷、後遺症、それにロージーの若さと要求に応えてくれぬ中年の夫への不満の蓄積と、解放への渇望がピタリと合致しての激しい性愛の場面を蜘蛛の糸のゆらぎや草木の風の揺れに変えての表現の映像、荒れる海での村人団結の武器回収シーンの高揚、その後のドリアン少佐の英雄への狙撃と村人達の憎悪と群集心理。。セリフは無くとも、ドリアン少佐の心の深い苦悩と絶望を表して余りある夕陽の場面。
最後に、あれほど忌み嫌っていたマイケルに、同じ蔑まれる立場を味わって、ひとまわりも成長してつよくなったロージーが、別れのキスをする。数え切れないほど深い感動を与えてくれる名作です。

「ライアンの娘」妻の不貞と夫の苦悩を描いた作品は他にもあるが、アイルランドの大自然と独立運動、封建性などを背景に文芸作品に仕上げている。森での性行の場面も美しく、音楽もいい。頭のおかしいマイケル(ジョン・ミルズ)はロージーに恋をしていたらしく、イクちゃんのいわれるようにラストで別れのキスをする場面はとてもいいですね。

クリストファー・ジョーンズの出演したテレビドラマ「ジェシー・ジェームズ」や「狂った青春」(Wild in the
streets)の画像がYouTubeで見る事が出来て感動です。
「狂った青春」では歌っている場面で、とても上手くて歌手にもなれたのではないかと思うほど。「ライアンの娘」の将校役とは全く違った役柄で、演技の幅を感じます。
俳優業から離れてしまった事が惜しいですが、後年、芸術家として作品を残したどのこと。多才だったのですね。

クリストファー・ジョーンズ、ウィキペディアに寄せられた彼の人生、俳優業から遠ざかったのは、数多くの恋愛で疲れていた、と、後年本人が振り返って語っていますね。再婚し、子供が生まれ、とても子煩悩な良き父親だったと、子息が語っています。絵を描く事に没頭し、家族を何より大切にして生きた、芸術家としての後半生。想像ですが、華々しい映画界、ハリウッドの虚飾が彼には合わなかったのかもしれませんね。

「ライアンの娘」でアカデミー助演男優賞を発表された瞬間のジョン・ミルズ、壇上に上がって喜びのコメントを言う場面がYouTubeに上がっていて見る事が出来ます。
頭のおかしいマイケルを演じた同一人物とは思えぬほど知的な紳士で驚きです。

最初の妻であったスーザン・ストラスバーグとの共演作品「青春の海」がYouTubeにアップされていて、若き日のクリストファー・ジョーンズを映像で見ることが出来ます。

イヴェット・ミュミューとの共演の「Three in the Attic」のう映像もアップされています。

1996年の映画「Mad Dog Time」がユーチューブにアップされていて、54歳のクリストファー・ジョーンズが脇役で出ています。

「Mad Dog Time」のクリストファー・ジョーンズは、若い頃の面影を残してシブく歳を重ねた感じで、かっこいいですね。声も変わっていない。

クリストファー・ジョーンズ、2004年の映画「The Village」にも端役で出演しています。

Three in the Atticのクリストファー・ジョーンズ、映画の中とはいえ、モテすぎでしょ。

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