懐かしの関西のマンガ家たち
日本人はたいへんよくマンガを読む。おそらく世界で一番マンガが好きな民族ではないだろうか。なぜ、外国の人はこれまでマンガを読まずにいたのだろうか。答えの一つは、かれらの国には手塚治虫(1928-1989)がいなかったからだという。手塚治虫の生まれは大阪府豊中市であるが、5歳のときに一家で宝塚に引っ越して、24歳で上京するまで宝塚で過ごしている。戦後マンガの原点ともいうべき「新宝島」が大阪の育英出版からでたのが昭和22年のことである。さて戦後に大流行した「赤本」とは、主に関西の版元から出版され、駄菓子屋などで売られていた、こども向けの描き下ろし単行本のことである。手塚は南部正太郎(1918-1976)や武田将美と3人でスリー・マンガ・クラブを結成していた。そのほか大阪には戦前から平井房人が関西のマンガ集団のリーダー的存在だった。平井は若いころ宝塚少女歌劇の美術部で活躍したが、手塚の作品にも宝塚歌劇団に象徴されるきらびやかな洋風文化の影響が明らかにうかがわれる。関西のマンガ文化は昭和初期からの阪神モダニズム文化の所産ともいえる。
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