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2009年8月 2日 (日)

「世界のミフネ」のご先祖はサムライではなくて山伏か?

Img_0009 三船徳造

    秋田と山形との県境に日本海の波打ち際に聳える鳥海山は昔から霊峰として仰がれ、信仰登山が盛んに行われていた。映画俳優三船敏郎(1920-1997)の父三船徳造は、鳥海山の麓にある寒村・由利本荘市鳥海町小川の出身。三船家は代々修験道を司る家系で、黒石神社は神仏習合による鳥海山大権現を祀る。修験道とは、山中の修行により霊験や呪力を身につけることを目的としている仏教で、密教に基づき、神仏いずれにも仕え、山伏や法印とも称されていた。つまり三船敏郎の男性的な声や風貌は日本古来の山伏の姿を彷彿させるものがある。「世界のミフネ」は武士のイメージが強いが、厳密にいうと修験道や山伏を体現化しているものである。徳造は中国青島や大連で写真業を営んでいたが、いつ中国へ渡ったか明らかではないが、おそらく大正初期のことであろう。つまり明治末期に徳造は写真技術を習得したのであろう。明治の西欧化の波は秋田にも及び、修験道の伝統ある三船家も転業を余儀なくされた。三船敏郎が映画会社に入社したのも写真技術の知識があたためであろう。明治の近代化の余波によって親子二代の労苦の中から国際的スターが誕生したのである。

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「芸能・アイドル」カテゴリの記事

コメント

三船家の先祖についてですが、かなり違います。私は三船家とはかなり系統は離れていますが、先祖は同じなので系譜図も持っています。三船家の大先祖は1600年代に稲葉何某といい水戸藩士でしたが、脱藩し当時秋田県雄勝郡仙道村に名主として移住しましたが諸事情があって、その後現在の鳥海町小川に越してきました。親戚からは名主とか庄屋をやっていたと聞いています。三船敏郎氏の父は徳蔵氏ですが、その父は三船順貞で第12世になります。私の先祖はその順貞氏の父佐造氏(第11世)の弟の兼五郎です。他のブログでも山伏とか修験者とか言う方がありますが、親戚からも一度もそのようなことは聞いたことが無く、名主だったと聞いています。ちなみの三船家の第6世(寛政年間)の長男に林観坊という盲目の長男がいましたが、家督相続ができず分家しています。ひょっとするとその方がお寺関係かもしれませんが。三船敏郎氏の風貌から山伏のように想像するかもしれませんが、先祖は侍であり水戸藩士であったことは間違いないと思います。

「世界のミフネ」「男性№1」「古武士」多数の形容を持つ一日本人が、長い歴史的風土の中から生まれたことに大変感動をおぼえます。詳細なお便りをくださり、ありがとうございます。

早速のご返答ありがとうございます。私も年にしてまだ45歳ですが、自分の先祖の出自には大変関心がありますので、貴殿が調べた内容も大変貴重と思います。ただ、私も言い伝えでしかない部分、また系譜図のみですので明確に出来ないのも事実であります。実は大先祖の稲葉何某は水戸藩を脱藩後、秋田に名主として入っていますが、雄勝郡仙道村の土地の者と折り合い合わず、意思疎通が欠けたため大先祖は家を焼かれて鳥海村小川に越してきたのも事実のようです。三船敏郎氏もきっと先祖の伝聞を聞いてると思いますが、「七人の侍」を見ていると、敏郎氏の心の中に、何となくそんな大先祖のいたらない部分に、敏郎氏自信演技の中で気持ちを表したのでないかと、あの映画を何度見ても思います。三船家に興味関心を頂き本当にありがとうございます。

秋田出身です。
母は旧姓・三船です(祖母の家系の姓)。
昔から、「三船敏郎」と遠い親戚らしいという漠然とした話のみ聞かされてきました。
祖祖母・ノブは昔、立派な家にいたけれど、家が「かまきゃした」(「破産」の秋田弁)とやらで、その後転々とし、何度か夫に先立たれ再婚を繰り返したようです。
祖祖母の先祖の墓は鳥海町にあり、一度、行ったことがあります。

40歳になって、自分のルーツが気になりはじめましたが、だんだん聞くべき人がいなくなっています。
早速、年末年始に帰省したら母に根掘り葉掘り聞いてみたいと思います。

ゆかりあるかもしれない方へ。おそらく三船家の方だと思います。僕の手元にある系譜図では三船敏郎氏の祖父である三船家第12世三船順貞氏の兄弟姉妹にノブノさんという方がいらっしゃいます。系譜図ですから若干の字の違いはあるかもしれませんが、このノブノさんは母方の実家の佐藤林七さんに嫁いでいます。僕の身内から聞く三船と佐藤の話でもやはり本家が大変厳しい生活だったそうで、分家であった僕の曽祖父は自分の妻子と一攫千金北海道に渡り、祖父の佐藤和一は志願兵上がりの准尉として旧第7師団にいました。やはり秋田から出てきて苦労したと聞いています。なんだかこのブログを使わせて頂いて三船家の話が出来ること。大変恐縮します。

三船家のみなさんがこのブログで情報交換できてオーナーとしても嬉しいです。お話はとても複雑でわかりませんが…。もっと多くの情報を集めて、ルーツのクンタキンテをさがして、ご先祖様の苦労があって今の自分があるという実感が大切ですね。

わたしの父は小川出身で、よく本家にお邪魔してました。祖父も徳蔵一家と満州にいっていたそうです。

しかしそんなルーツがあるとは知りませんでした。
なんとかして系譜図をみせてほしいです。

大先祖は水戸ですか?
でも、顔立ちは秋田県人という感じがします。秋田の血が濃い?


母が鳥海出身で、実家に敏郎さんが来たことがあります。
やはり、どんなルーツなのか気になります。

大震災で自信を失い、進むべき道を失っている今こそ、われわれの先祖がたどってきた道を探ることは必要ですね。いま日本列島に住んでいる人々も4万~5万年くらい前に大陸から、あるいは南方から、北方から渡ってきた。そして元をたどれば世界の人類はみんなアフリカからの子孫。気の遠くなるような大昔からつながっています。

この項目、面白過ぎて読み入ってしまいました。いつの時代に遡っても、必ず私達の先祖はいて、必死に生き抜いて子孫を残したからこそ、現在自分がここに生きているのですよね。

三船敏郎は、武士ももちろんの事ですが、「無法松の一生」の松五郎役、実にはまり役で、今現在、あの男気を出せる俳優はいないなぁ、と思います。

こんにちは。
私は三船氏とは関係ありませんが私の父方祖先が山伏と聞いて育ちました。
本家の現在90代の人の曽祖父7代前らしき山伏の法螺貝があり見たことがありました。
しかし最近になって武士だったことがわかりました。戦いに負けて山伏として逃げたらしいのです。
三船氏も武士の出で途中、親戚の中に山伏に
なったものがいたのかもしれないなと思いました。

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