切腹の歴史
刀で腹を切って死ぬことを切腹というが、日本の習俗として外国人にも、「HARAKIRI」の名でよく知られている。自害の方法としては平安時代に始まり、源平争乱のころから一般化し、武士はもっぱらこれによるべきものとされた。明治になってからも軍人の間に切腹がもっともふさわしいとする観念が残っていた。乃木稀典、阿南惟幾、三島由紀夫などの切腹が知られている。
ところで切腹の作法が未だ整わない南北朝時代、村上義光の切腹は、腹を十文字に切り、臓腑をつかみ出し、敵に投げるという壮絶なものであった。吉野神社の南約1㎞、道の脇に立つ宝篋印塔が南朝の忠臣・村上義光の墓である。義光は信濃の武将で、奪われた錦旗を奪い返し、大塔宮護良親王の身代わりとして、吉野落城のさい蔵王堂の仁天門上で自害した故事は有名である。
松岡映丘「村上義光」
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