夜半の鐘声
「水の都」とうたわれた蘇州は運河と古い石橋がその昔日の面影を伝えている。中唐の詩人・張継の七言絶句「楓橋夜泊」は我が国で、人々に最もよく知られている漢詩のひとつである。
月落ち烏啼いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る
この詩の解釈には異説がある。第一句は、明け方の情景と思われるのに、第四句に「夜半の鐘声」とあるからである。宋の欧陽脩は「句は則ち佳なるも、其れ三更は是れ鐘を打つの時ならざるは如せん」と述べ、真夜中に寺の鐘がなるのはおかしいと言った。その後、多くの反論が出て、唐代には真夜中にも鐘が鳴るという例が挙げられた。つまり、起句で明け方の情景かと思ったが、実はまだ夜中であったということになる。こうして見るまま、聞くまま感ずるままを、そのまま表現したのがこの詩であるようだ。旅の愁いのために眠れぬ心がひしひしと読者の胸に迫ってくるのをおぼえる。
なおこの詩について、後日再び楓橋に来て作ったという詩「重ねて楓橋に宿す」がある。おそらく後人の偽作であろうと思われる。
白髪重ねて来る一夢の中(うち)
青山改めず旧時の容
烏啼き月落つ寒山寺
枕を欹(そばだ)てて猶ほ聞く半夜の鐘
江蘇省蘇州にある寒山寺は梁の時代の天監年間(502-519)に創建された名刹。寒山寺から徒歩5分の地にある楓橋は現在、江村橋とよばれている。
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