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2009年6月24日 (水)

天下無双の槍の名人、俵星玄蕃

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    吉良家にほど近い本所横網町に宝蔵院流の槍を取っては天下無双といわれた俵星玄蕃が住んでいた。玄蕃はたびたび屋台の夜なきそばを食いにいく。そば屋の当たり屋十助という男、どうやら武士のようだ。あるとき、玄蕃が吉良の付人として仕官を勧められる。だが赤穂の浪人たちに深く同情を寄せていた玄蕃はこの申し出を断わる。さて討入り当夜、義を重んじる玄蕃は赤穂浪士を助けようと槍を持って吉良邸へ行くと、夜なきそば屋の十助がいたので驚き、いままでの非礼を詫び吉良邸の外を警戒して本懐達成に協力したといわれる。十助は杉野十平次次房といい、享年28歳であった。俵星玄蕃は講談や浪曲でお馴染みではあるが、もちろん架空の人物。映画では、大正3年「俵星玄蕃」では尾上松之助、大正9年「俵星玄蕃」嵐璃徳、昭和2年「俵星玄蕃」尾上紋十郎、昭和3年「俵星玄蕃」(日活)尾上多見太郎が演じている。戦後では昭和34年の「血槍無双」(東映)では片岡千恵蔵、昭和37年「忠臣蔵」(東宝)では三船敏郎が演じている。
    俵星玄蕃のモデルとして考えられる人物として、大石無人(1627-1712)がいる。大石内蔵助の遠縁にあたり、赤穂浅野采女正長重に仕えたが浪人し、寛文6年(1666年)から江戸に住んだ。堀部弥兵衛と親しく、義挙参加を申し出たが、主家を退去したのは昔のこと、今は子にかかっている身分、と忠告されて思いとどまっている。長男郷右衛門良麿、次男三平と共に義を好み、討入りの時は三平と吉良邸の外で警戒にあたった。この故事から、明治期の講釈師が俵星玄蕃を創作したと考えられる。

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