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2009年6月14日 (日)

愛と恋

   NHK大河ドラマ「天地人」で直江兼続の愛の前立てがよく話題になっている。この愛の意味は、愛染明王若しくは愛宕権現の頭文字から取ったものであるのか、仁愛の意味が含まれているのか謎であるが、戦国時代思潮を考えると、たいへんに興味深いところである。ある調査によれば、現代でも「愛」はもっとも好まれる漢字一文字だそうだ。ところで「愛」と「恋」のちがいは何か。英語では、loveの概念に区別はない。ウィキペディアによれば、恋が一方的な思慕の情を指すのに対して愛は常に相手の立場を思いやる心遣いだという。高校生がガールフレンドとの三角関係のトラブルで亡くなるという痛ましい事件があったが、「彼女を守る」という一方的な思い込みは時として暴走することがある。純愛ブームというものもドラマの中だけならよいが、現実社会においてはたえず危険が伴うものである。土曜日の朝日新聞の人生相談に「教え子の女性が恋しいんです」という40代の高校教師の悩みが掲載されている。回答者の作家・車谷長吉さんは「世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えるが、実はそうではない。生が破綻した時に、はじめて人生が始まる。あなたは自分の生が破綻することを恐れている。恐れずに、仕事も家庭も失ってみたら」という、大胆な回答をされている。どうも相談者が本当に悩んでいるのか怪しげな記事なのだが、回答が回答だけに読物としては面白い。ただし、これで人生相談として成立するのだろうか。回答者は、この世の地獄を見て成功した人だからよいが、だれにでも適用できるとはとても思えない。やはり、現代社会に正しい指針がないのだろう。「バカの壁」を取り払ってしまうと、固定観念がなくて、自由な意見はよいが、その結末は恐ろしい。聖書であれば、先ず姦淫は否定されるので、教師が教え子に恋するだけでもいけないことであろう。ドラマ「高校教師」では「あの頃の僕達二人の関係は、一体何と呼べば良かったのだろうね。恋と呼んだら、きっと君は怒っただろう。けれど、愛と呼ぶには僕達はまだ、余りにも幼すぎたんだ」とある。ドラマの結末は忘れたが不幸なものだったような記憶がある。

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