織田秀信
織田秀信(1580-1605)は信長の孫、信忠の長男として生れた。彼が3歳のとき、天正10年、本能寺の変がおこり、信長、信忠を明智光秀に殺された。その後、急をかけつけた秀吉に清洲会議で織田家の後継にまつり上げられたが、元服しても岐阜の十三万石余りしかもらえなかった。やがて秀吉が死に、徳川家康と石田三成の対立が表面化し、三成は西国大名と結んで豊臣秀頼をもりたてた。この時、秀信は西軍石田方につき、東軍の先鋒の福島治則らと戦い、敗れて降伏した。秀信は命を助けられて、剃髪して高野山に入り、そこで慶長10年、26歳の若さで生涯を終えた。妻子はいない。今日、フィギアスケートで有名な織田信成は信長の七男信高の子孫にあたる。
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