趙雲の死の謎
趙雲、字は子竜。蜀の武将のなかでは関羽、張飛に比べ、性格はつつましく、分をわきまえる存在で、孔明の命令に忠実であり、三国志のなかでは比較的地味に存在であった。ところがテレビゲームや映画「レッドクリフ」などの影響でこのところ人気は急上昇中である。映画ではフー・ジュン(胡軍)扮する趙雲が単騎で魏軍の中に斬り込み、穈夫人と阿斗を救出するシーンが延々と続く。ほんとうの歴史の上でも、この趙雲、70歳過ぎ、北伐の頃まで活躍している。
ところで諸葛孔明の「後出師表」では、「趙雲など喪(うしな)えり」と物故した将軍となっているが、陳寿の『三国志』の「蜀志」趙雲伝では、趙雲の死は建興7年(229年)となっている。孔明は建興6年11月に「後出師表」を奉ったとされる。つまり趙雲の死の記述が「後出師表」の真偽を疑わせる根拠となっている。(参考:章映閣『史伝諸葛孔明』「後の出師の表は偽作」徳間書店)
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