チャイコフスキーの結婚生活
1877年4月末に、36歳のチャイコフスキー(1840-1893)は、アントニーナ・ミリューコワという音楽院のかつての教え子から愛の告白の手紙を受け取った。彼はミリューコワの顔すら思いだすことができなかったが、丁度、オペラ「エヴゲニー・オネーギン」を作曲している最中で、主人公タチアーナがオネーギンに愛を告白して、冷たく退けられる場面を作曲している途中であったので、創作と現実との符合におののき、彼女との結婚に踏み切ることにした。
7月6日にモスクワの聖ゲオルギー教会で結婚式を挙げた二人は、その日の内にペテルブルグに向けて出発した。チャイコフスキーの父親などを訪問し、14日にモスクワに帰ってきた。しかし、二人の結婚生活は最初からうまくいかず、9月中頃、精神的痛手を負ったチャイコフスキーはモスクワ川で自殺を図るが失敗する。わずか3ヵ月で結婚生活は破綻し、10月には別居している。チャイコフスキーには同性愛的傾向があったというが、結局、離婚の真相は誰にもわからない。
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