「知る権利」の誕生
第二次世界大戦の末期1945年1月23日、ニューヨーク・タイムズは、その社説の冒頭で次のように述べた。
AP通信の常務ケント・クーパーは、日曜日の朝、当市のテンプル・イマーニュ・エルで行なった講演のなかで、古来の自由という文言に代えて、適切にも新しい表現を用いた。彼は「知る権利」について言及したのである。市民は、十分で正確に提供されるニュースを受ける権利がある。「国においても、世界においても「知る権利」の尊重なしに政治的自由はありえない。
「知る権利」(Right to Know)という新語の創始者がケント・クーパー(1880-1965)であるかどうかは、断定できない。しかし、それから10年後の1955年10月、アメリカの新聞週間は、そのスローガンに「あなたの新聞はあなたの知る権利のために闘う」を採用した。つまり、このころまでには、知る権利という言葉は少なくとも新聞人のあいだで定着していた、とみなしていい。ケント・クーパーは翌年には『知る権利』(1956)を刊行している。彼は戦時中の言論支配の体験から、取材活動の自由を「知る権利」の名で主張したのだ。
その後、アメリカでは、1966年に「情報自由法」が制定された。情報公開法を有する国は、北欧諸国やカナダ、オーストラリア、ベルギー、オランダなどに広がったが、1996年にはアジアで初めて韓国において情報公開法が制定された。我が国では1999年に情報公開法が制定された。
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