宗教は悲しみを癒す手助けとなるか?
どんなに健康に気をつけても、人は老化し、病気になり、ついには死ぬ。葬式のあるたびに、死はすべてのものを征服する王であるかのように思える。もっとも、死後にも命があると信じる人はいつの時代にもいる。古代エジプト人やギリシアの哲学者プラトンは、肉体が朽ちても不滅の魂がある、いわゆる霊魂不滅を信じていた。
数年前、「千の風になって」がヒットしたが、仏教界からすると歌詞に対して異論があった。「亡くなった人はお墓にはいない」「風になってそばにいる」という考え方は、死者を成仏させ、霊魂の存在を否定する仏教の教えにはなじまないものであった。米アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」もテーマが死なのに宗教が描かれていないことに仏教界では疑問の声がある。これまで死は宗教が取り扱ってきた大きな問題なのに、現代の葬儀の多くは葬儀屋に任せるようになり、「葬式仏教」にもなれない。いまこそ僧侶は悲しみと癒しを手助けをしなければならない、と松長有慶(高野山真言宗)管長は語る(朝日新聞夕刊2009.4.4)
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