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2009年4月 6日 (月)

「清き白河」「濁れる田沼」どっちがいい?

    デレビの時代劇でお馴染み、「越後屋、お前も悪よのお~」と悪代官が御用商人と結託して小判(賄賂)をとるというシーンがある。政治家というのは、今も昔もそれほど変わらないようだ。田沼意次が下屋敷の池を見ながら「この池に魚を入れたら面白かろうな」とつぶやいて登城すると、その日の夕刻には多くの鯉や鮒が池の中で踊っていたという。何やら西松建設の献金事件のようである。田沼はかつては日本3大悪人の一人に数えられた。戦前の論壇では徳富蘇峰や辻善之助らの道義的に断罪する風潮が主流であった。ところが近年、大石慎三郎の実証的研究により田沼の積極的な経済政策や文化政策が評価されるようになった。(大石慎三郎『田沼意次の時代』1991)だが江戸時代にすでに「白河の清き流れに水絶えて、昔の田沼今は恋しき」という戯れ歌が残るように政治家の優劣を論評することは難しい。田沼意次か松平定信か、太郎か一郎か。どちらを選ぶか、それが問題だ。

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