ロリータ
ロシア貴族の亡命作家ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)と喜劇王チャールズ・チャップリン(1889-1977)とはおそらく2人は面識はないだろうが、「ロリータ」(Lolita)という一語で繋がっている。
ナボコフの小説は、中年男ハンバート・ハンバートが12歳の少女ロリータに惹かれてその母親と結婚し、彼女の死後ロリータを手に入れるが、やがてハンバートは逮捕され、獄死するという話である。この背徳的な小説は最初アメリカでは出版されず、1955年パリで出されたが発売禁止となるが、デンマーク、スウェーデン、イタリア、ドイツ、オランダと各国語に訳され世界的ベストセラーとなるや、1958年になってニューヨークでパトナム社から出版されるにいたった。主人公ハンバート・ハンバートという奇妙な名前はさておき、ロリータというのはラテン語Doloresの変化したものである。ドロレスとは「悲しみ」「悲哀」の意味で、キリスト教の「マリアの悲しみ」に由来するといわれている。ところが、ロリータの本当の由来はチャップリンの2番目の幼な妻リタ・グレイから来ていると映画評論家の町山智治は記事に書いている。ナボコフは1940年にアメリカに亡命したが、1943年に有名なチャップリン裁判があった。ジョーン・バリーという無名の女優の赤ん坊の認知訴訟であったが、チャップリンの過去が取り沙汰され、2番目の妻との離婚も1927年のことだがむしかえされる羽目になった。そしてナボコフはリタ・グレイという女優の本名であるリリータからロリータを借用したというのである。真偽のほどは定かではないが、少女を崇拝するような習癖、ニンフエットだけを一生求めるところがチャップリンにはあったことは事実である。最初の妻ミルドレッド・ハリスは16歳、2度目の妻も16歳、3度目の妻ウーナ・オニール(劇作家ユージン・オニールの娘)は18歳である。ちなみに「モダンタイムス」のポーレット・ゴダードは日本に新婚旅行に来たが入籍はなかった。大人の男が未成熟の少女に執着する愛は当時のアメリカではタブーであったため、たとえ合法に結婚したといえども、チャップリンは世論から陰で非難されたようだ。小説『ロリータ』の出版から半世紀以上が経つが、社会道徳としては、大人の男にとっては依然少女は禁断の実であることには変わらない。(参考:週刊新潮2009.5.7.14号)
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