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2009年4月22日 (水)

サンヨー夫人

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   戦後の日本社会を一口で言うと、電化時代である。この電化時代の旗手は、家電業界で、日立、東芝といった関東の重電機メーカーに対して関西の松下、三洋、シャープは、初めから家電一本槍で事業を展開をしてきた。三洋電機といえば、バドミントンのオグシオ(小椋久美子、潮田玲子)が有名であるが、かっては女優の木暮実千代(1918-1990)が「サンヨー夫人」として知られていた。

   昭和28年のことである。三洋電機宣伝課では新製品の洗濯機でイメージ・タレントの選択会議がおこなわれていた。「洗濯機は主婦が使うものでして、その主婦代表として3人のスターの中からサンヨー夫人と命名して、当社の宣伝に使います」と亀山太一宣伝次長は述べた。その3人のスターとは、小桜葉子(上原謙夫人)、高杉早苗(市川段四郎夫人)、木暮実千代(和田日出吉夫人)であった。木暮は当時「25才以下の方は、お使いになってはいけません」という斬新なキャッチコピーで知られた「マダムジュジュ」化粧品クリームのイメージが強かった。社内には木暮反対のムードが強かった。だが亀山はサンヨー夫人のイメージは木暮しかないと決断した。まもなく新聞にサンヨー夫人が「みなさまにおすすめします」という形で登場した。宣伝キャンペーンは大成功だった。1年後には生産は月1万台とはねあがった。それに昭和29年には、ジュジュ化粧品は、CMタレントを、木暮実千代から新星・岡田茉莉子に切り替えていた。ある新聞の調査によると、あの大スターの木暮を、サンヨー夫人の広告をみて、木暮実千代と答えた人より、驚いたことに、サンヨー夫人と答えた人の方が多かった。広告の力たるや恐るべし。

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コメント

昭和38年頃、三洋電機の社員の慰安会には必ずサンヨウ夫人としてお見えになり、社長「井植敏男さん」のドロップの缶を近くの社員に回し、社長さんからよ等とずいぶん気さくな方と記憶しております。社長との掛け合いで、吉本まがいの舞台もあり、大いにご活躍されておられました。
懐かしいです。

申し訳ありません。社長は「井植歳男」さんでした。訂正しお詫びいたします。

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