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2009年4月 9日 (木)

女郎仏は上臈、あるいは遊女?

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    鋳物工業の町として知られる埼玉県川口市から日光街道を岩槻方面に向かい、鳩ヶ谷を過ぎてしばらく行くと「石神」というところがある。通称新町といって、赤山城関東郡代伊奈半右衛門の城下町であった。ここの妙法寺という寺に女郎仏(じょろうぼとけ)という流行仏がある。

    寛政2年3月1日、暴風雨があり、役人が見廻りをしていたところ、若くて美しい女のすすり泣く声が聞える。病重く、所持品もなく、どこの誰れともわからぬまま、5日後に亡くなった。この女性を葬ったのが女郎仏である。

    地元の観光課のパンフレットなどでは、川越あたりの上臈(じょうろう、身分や地位の高い女性)ということであるが(川越市は朝の連続テレビ小説「つばさ」の舞台。川越藩の城下町・宿場町)、おおかた川越宿の遊女ではなかろうか。梅毒に感染して重態となり、無惨にも捨てられてしまった。その女が、この村にたどり着いたとき、村人が哀れんで看護したが、とうとう死んでしまった。末期にあたって「自分は梅毒のために苦しんで死ぬようになったが、もし、わたしを祀って祈るならば、必ず梅毒をなおしてやろう」といい残して亡くなった。

   こうしたいわれから「女郎仏」という流行仏に祈願をこめれば腰から下の病に効果があるというので、大正期には祈願者が多く、「塔婆と額を納める者その数、数千あり、額は重ねて山なし、木の塔婆は垣として数千間、幾重にもさしてあり」と『新篇鳩ヶ谷の歴史』に記されている。ところが「女郎仏」は今では、梅毒治療ではなくて、安産祈願になっている。(参考:渋井三郎「女郎仏」歴史研究306)

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