写楽は誰だ?
江戸時代、庶民の生活を題材に、風俗、役者、美人、そして名所・風景などさまざまなテーマで描かれた浮世絵。そして代表的な絵師、東洲斎写楽、喜多川歌麿(1753-1806)、葛飾北斎(1760-1849)、歌川広重(1797-1858)の四人を四大浮世絵師というらしい。このなかで写楽だけ生没年がわからない。現在残されている写楽の作品は寛政6年5月から寛政7年2月まで10か月間に集中的に発表されたもので、その後の消息が一切不明。つまり突然現われて、忽然として姿を消した。そのため写楽を謎の絵師といい、別人に比定する説は枚挙にいとまない。主なものだけをあげる。
①斎藤十郎兵衛(斎藤月岑説)、②円山応挙(田口柳三郎説)、③谷文晁(池上浩山人説)、④葛飾北斎(由良哲次説)、⑤阿波藩蒔絵師飯塚桃葉社中(中村正義説)、⑥鳥居清政(君川也寸志説)、⑦歌川豊国(石沢英太郎、梅原猛説)、⑧酒井抱一(向井信夫説)、⑨谷素外(酒井藤吉説)、⑩山東京伝(谷峰蔵説)、⑪中村此蔵(池田満寿夫説)、⑫篠田近治(渡辺保説)、⑬喜多川歌麿(石ノ森章太郎説)、⑭蔦屋重三郎(横山隆一、榎本雄斉説)、⑮秋田蘭画派(高橋克彦説)といろいろあるが、いまのところ推理小説の世界でどの説もイマイチ確証に欠ける。
そこで登場した新説は平賀源内。いま週刊新潮に連載の島田荘司の「写楽閉じた国の力」では、主人公の佐藤貞三は写楽=平賀源内説を思いつく。源内は自宅で二人の男を殺したため、安永8年(1779)獄死したことになっている。つまり写楽の活動した寛政6年にはこの世にはいない。ところが非業の死を遂げた源内の葬儀は遺体もなく、墓もないため、後世、逃げ延びて生き続けたという俗説もあるため、写楽と同一人物とする小説のプロットもアリであろうか。
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