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2009年2月22日 (日)

女は年を重ねて輝く

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    婦人公論3月7日号。作家・あさのあつこ、歌手・秋元順子、女優・戸田恵子。女性は努力と才能次第で、40代、50代を過ぎてから開花することを教えてくれる。記事中には記されなかったが、戸田さんの二度の離婚の相手とは、池田秀一と井上純一。二人とも10代で人気スターとなった方。池田秀一はNHK「次郎物語」、井上純一は「青春ド真中」「ゆうひが丘の総理大臣」「あさひが丘の大統領」の生徒役で知られた。イケメンの場合、中年を過ぎて再起することは至難の事だ。井上純一は郷ひろみがバーニングプロへ移籍というジャニーズ事務所最大の危機を支えたタレントである。たのきん登場まで、井上の人気で低迷期をしのいだ事務所功労者の一人だ。もう一人の功労者が今年1月28日にこの世を去った。フォーリーブスのター坊こと、青山孝史だ。歌唱力と音楽面でリーダー的存在であった。今日、ジャニーズ事務所があるのはフォーリーブスの活躍があってのこと。コンサート会場でファンの将棋倒しが発生するほどの人気ぶりだった。新御三家の登場などで人気の時期は短かかったが、70年代ファンには忘れられない。花男の盛りは短いが、中年女性はいつまでも元気。

2009年2月19日 (木)

映画「黄昏」

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   ウィリアム・ワイラーの映画「黄昏」(1951)はセオドア・ドライサー(1871-1945)の小説「シスター・キャリー」が原作となっている。ワイラー監督は本来「嵐ヶ丘」「女相続人」など文芸物を得意としている。ところが「ローマの休日」のロマンチック・コメディ、「ベン・ハー」の歴史劇、「コレクター」のサイコなどジャンルの広さに驚かされる。

   「黄昏」はワイラーの作品の中ではとりたてて高い評価を受けてはいない。あまりに悲劇的なため興行的には失敗だったろう。しかしながら演技者オリビエとジェニファー・ジョーンズの共演など見所は多い。ストーリーは中年の男が美しい女性のため人生を破滅するという往年の名作ドイツ映画「嘆きの天使」に近いものがある。なぜ「嘆きの天使」があのように成功をおさめ、「黄昏」は失敗したのだろうか。ローラは魔性の女であったが、キャリーは情が深く、善人であったことで、筋立てが凡庸になった感がある。

   シカゴへ出てきた田舎娘キャリー(ジェニファー・ジョーンズ)が妻子ある高級レストランの支配人ジョージ・ハーストウッド(ローレンス・オリビエ)と出会う。二人はニューヨークへ駆け落ちをして安アパートで暮らしはじめる。たがジョージの新しい仕事先はなかなか見つからず落ち込む。そんなときキャリーの言葉がいい。「ジョージ。買い物に行ってきてちょうだい。牛乳1本と新聞、それに葉巻を」。それを聞いてジョージは「君はすばらしい人だ」と抱擁する。そのような日常的な言葉でやさしいを表現することはちょっと今のテレビなどでは見られないシークエンスであろう。ドライサーの原作にあるものなのか、ウィリアム・ワイラーによるものか、ルース・ゲイツ、オーガスタ・ゲイツの脚本によるものか知らないが、この悲劇的な原作の中でもイイ台詞はある。

   ちなみにジョージの因業な正妻を演じている女優はミリアム・ホプキンスという。若い頃、エルンスト・ルビッチの「陽気な中尉さん」「極楽特急」「生活の設計」などのコメディで粋な演技を魅せていた。いまDVDでめずらしいものが見れてありがたいものだ。

2009年2月16日 (月)

アントネッロ・ダ・メッシーナ

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「お告げのマリア」1475年頃 アントネッロ・ダ・メッシーナ 

    アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430年頃~1479年)は、初期ルネサンスの画家。シチリア島メッシーナに生まれ、ナポリでコラントニオに学ぶ。フランドル絵画、とくにファン・アイクの作品から学び、油絵の技法を習得。絵画に奥行きとぼかし効果を与えるとともに、緻密な筆致によって物の材質を再現することに成功する。ミラノにおもむき、1456年頃まで滞在。1457-1474年はメッシーナに帰って制作を続ける。1475-1476年にかけてヴェネツィア、ミラノにおもむき、サン・カッシアーノ聖堂の祭壇画を制作した。

2009年2月14日 (土)

イスラム美術とミニアチュール

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  ウーラード王の首に綱をかけるロスタム「シャー・ナーマ」手写本の挿絵  シラーズ派

    イスラム文学の発達にともない、物語詩などの写本がつくられ、その装丁の装飾と平行し、挿画をいれるようになった。それがイスラムの画家にとって、小さい画面ながら、腕をふるいえた唯一の場所であった。だから繊細な描線とさまざまな彩色のかぎりをつくして、ロマンの世界を実現することに、情熱をそそいだ。物語性の関係もあって、ここでは三次元的な空間構成は問題とせず、もっぱら説明的な表現に終始し、画面はやはりオリエント古来の平面性と装飾的な効果をあげることに、つとめている。イスラムのミニアチュールは15世紀から16世紀、ペルシアの画派において黄金時代をむかえるが、それらはやがてムガール朝やオスマン・トルコ朝のミニアチュールの発達をうながした。なおその間に、中国の宋元画や明画などの影響をうけたものも少なくなかった。ことに白描画の発達は注目すべきである。(林良一「イスラム 講談社版世界美術17」)

ブックオフへ行く。「A Day in the Life of Canada」、「A Day in the Life of Australia」、絲山秋子「沖で待つ」、講談社版世界美術「メソポタミア」、「ローマ」、「ビザンチン」、「イスラム」購入。ずっしり重たい。

オバマ・ブーム便乗商法はハワイアン復権

   今、世界中でもっとも有名な人、オバマ大統領。書店ではズラリとオバマ本が並ぶ。洋書コーナーでは豪華な写真集がいろいろ出版されている。185センチと背が高く、やせ型で親しみやすい笑顔。45歳だけど実際よりも若く見える。日本では麻生首相の支持率が20%以下といわれるが、一方のオバマの支持率はなんと90%以上ともいわれる。日本でオバマを支持したところでどうなるものでもないが、「オバマを勝手に応援する会」というユニークなものもあるそうだ。また福井県の小浜市は「おばまガールズ」や「ちりとてちん」の便乗効果で観光客が増加した。映画「フラガール」をヒントにした町おこし作戦が功を奏したのだ。俗に言う「勝ち馬にのる」ことは勝利への鉄則ではないだろうか。不景気なこの時代、何か明るい話題はないだろうか。フラガールズで思い出すのは、昭和20年代後半から昭和30年代にかけてのハワイアン・ブームだ。これも戦後ニッポン人が必死になって復興を模索するなかで考えた、アメリカ景気の便乗「勝ち馬に乗れ」商法の一つだった。日本の遊園地や都会のビア・ガーデンではいつもハワイアンが流れていた。夏は池や湖にボートがあって、ハワイアン・フラダンス・ショーがあった。日本で人気のハワイアンというのはハパ・ハオレ・テューン(半分白人化された曲)である。戦後、ハワイ観光ブームによって日本にもたらされたハワイアンを日本人はとても好んだ。アンティ・イオナ、ソル・ポーピー、レイ・キニー、ダニー・スチュアート、アルフレッド・アパカ、ラニ・マッキンタイア、ソル・フービー、リンダ・ハワイズ・カナリ、レナ・マシャードなど代表的な音楽家たちである。古代ハワイの伝統音楽が西洋音楽と接触してポピュラー音楽となっていった。日本にもバッキー白片や大橋節夫、和田弘とマヒナスターズ、エセル中田、南かおる、日野てる子などの人気者が登場した。シャッター通りといわれる地方の商店街の皆さん、この夏はBGMにハワイアンを流したり、盆踊りなど楽しい企画をして盛りあげてみてはいかがでしょうか。

2009年2月13日 (金)

裸眼でとらえた風景

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   素朴派礼賛の風潮は、19世紀末のパリで、ドイツの評論家ヴィルヘルム・ウーデや当時第一線で活躍した芸術家たちによって、アンデパンダン展(無審査展)に参加した税関吏アンリ・ルソー(1844-1910)の芸術が認められたことに始まる。ルソーの後、最も優れた素朴派の画家はアンドレ・ボーシャン(1873-1958)である。

   フランス中部のシャトー・ルノーに庭師の息子として生れたボーシャンは、第一次世界大戦中に測量技術を習得し、技師となる。測量図の正確さを認められデッサンの勉強を続けるよう進められドローイングに興味を持つようになる。46歳を過ぎてから本格的に絵画を描き始めた。48歳の時、サロン・ドートンヌに出品した作品がアメデ・オサンファンやル・コルビュジュらに認められる。その作品は柔らかく上品な色調にまとめられ、自然への愛情に満ちている。

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     花咲ける丘

2009年2月 9日 (月)

歌手・薬師丸ひろ子

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  会社の帰りの  電車の窓から

  マーマレード色の 夕焼けを見たの

  知らない間に 涙がこぼれて

  ともり始めた家の灯 胸に染みた

   むかし「薬師丸ひろ子の声はうっとうしくて嫌いだ」とある友人は言っていたのを思い出す。たしかに薬師丸の声は、男性にとって心地よいと感ずる人と嘔吐感へとつながる人と極端に二分するらしい。ケペルはメロディラインに乗った彼女特有の伸びのある高音は聞いていてとても気持ちいいと感ずるほうである。そのため彼女のシングル、LP、あるいはベストもののCDなど多く所有しているし、何度となく愛聴している。先週テレビが壊れたのでプラズマの42インチテレビを買った。そして録画しておいた昨年9月放送の薬師丸ひろ子「SONGS」を再見する。「カ・イ・カ・ン!」

    デビュー30周年を迎えた彼女は自身のキャリアの中で培った表現力で当時よりも上手くなっていた。過去日本映画界で歌う女優はたくさんいるが彼女ほど歌の好きな人はいるだろうか。薬師丸の歌の原点は合唱だそうで、番組の中でも島根県雲南市立吉田小学校のこどもたちと「夏の思い出」を一緒に合唱している。ラストに歌った「風に乗って」がとくに印象に残った。「今夜風に乗り、言葉を届けよう、彼の住む街に素足で舞い降りて」というステキな歌詞だ。NTTのイメージソングだったが、たしか玉置浩二と結婚した頃の歌だった。薬師丸のヒット曲は多い。「セーラー服と機関銃(夢の途中)」「愛情物語」「メイン・テーマ」「時代」「あなたを・もっと・知りたくて」「WOMAN」。でもこの「風に乗って」は薬師丸ひろ子にとっていかに大切な曲であるか。そしてファンも大好きな曲で、いわば隠れた名曲だと思う。

アメリカ大統領の数奇な運命

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   アメリカ大統領就任式は4年毎に1月20日にある。バラク・オバマは2009年のこの日、リンカーンの使用したという聖書に手を置いて宣誓し、第44代大統領に就任した。そして大統領を見るためこの就任式に、全米からなんと200万人を超える観衆が集ったという。

   正式な名前はバラク・フセイン・オバマ・ジュニア。実父オバマ・シニアはイスラム教徒である。そのためミドルネームにフセインという名がある。つまりサダム・フセインを思い起こさせるし、オバマはオサマといい間違えることがあり、オサマ・ビンラディンを思い起こす。第44代大統領、この44の凶数も不吉な予感がする。

   気になって調べて見ると、アメリカ大統領には数十年おきに不幸な出来事があるというのは歴史的事実だ。1840年、第9代大統領ウィリアム・ハリソンは肺炎で就任後1ヶ月亡くなっている。1860年に第16代大統領エイブラハム・リンカーンは5年後の1865年に暗殺された。1880年には第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドが弁護士に撃たれて死亡。1920年には第29代大統領ウォーレン・ハーディングは遊説中、脳溢血で死亡。1940年、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトもやはり脳溢血で急死している。そして、1960年に第35代大統領になったジョン・F・ケネディは3年後に世界中の人の見守るなか、ダラスで衝撃的な死を遂げた。

    今やオバマの人気は演説集がベストセラーになるほどで、本国のみならず日本、世界でもリンカーンやケネディの再来といわれるほどの期待感で歓迎されている。だが過剰な期待と裏腹に過去の忌まわしい歴史が暗示する偶然の数々が不吉なできごとを予感させずにはいられない。今は単なる杞憂であることを願うのみである。

マリー・ローランサンと堀口大学

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1918年(35歳のマリー・ローランサン)

   マリー・ローランサン(1893-1956)という女流画家は日本でも人気のある画家の一人であろう。それはギヨーム・アポリネールの「ミラボー橋」という詩と共に二人の恋の話が流布しているからでもあるが、実は日本の一人の青年詩人との交友があったこともその理由の一つと考えられる。その詩人とは「ミラボー橋」の訳詩を最初にした堀口大学(1892-1981)である。

  1915年、23歳の堀口大学(1892-1981)はスペインのマドリードで女流画家マリー・ローランサン(1883-1956)と出会う。二人は毎日一緒に散歩をした。この交友は1922年になって、パリでまた復活する。その時、ローランサンはピンクとグレーを主調とした部屋に住み、寝室はピンクと水色のと二つあり、気分次第でそのどちらかに寝るという優雅さだった。ローランサンの詩「日本の鶯」は明らかに堀口大学のことを書いたものであろう。

      日本の鶯

  彼は御飯を食べる

  彼は歌を歌ふ

  彼は鳥です

  彼は勝手な気まぐれから

  わざとさびしい歌を歌ふ

   堀口大学の訳詩集「月下の一群」はローランサンとの交友がもとになって生れたものであろう。

       * *

   午前中、久しいぶりにブックオフへ行く。感謝券の有効期限が近づいたからだ。ギュスターブ・ドレ「図説バイブル」(一橋出版)、「薔薇色のソネット、マリー・ローランサン展」、デービッド・D・ダンカン「ひまわり、ヴァン・ゴッホに捧げる」、石田英一郎「古代アメリカ、講談社版世界美術23」、東野芳明「現代、講談社版世界美術25」、「マキュア2009.1、美女として生きていく宣言」、アキヤマ香「犬と私の10の約束」、「子犬と遊ぼ!ベストカタログ」(笠倉出版社)、濱野光「コンタクトレンズ」、宮部みゆき「理由」、アーネスト・ヘミングウェイ「エデンの園」、梨木香歩「西の魔女が死んだ」、宮部みゆき「夢にも思わない」「地下街の雨」、「世界で本当に起きていた数奇なドラマ」購入。

2009年2月 8日 (日)

トリニダードトバコ

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    カリブ海の西インド諸島南端に浮かぶ小さな島、トリニダードはトバコなど5島と共に、1962年8月31日イギリスからトリニダードトバコ共和国として独立した。地名由来トリニダードとは、スペイン語で、コロンブスが1498年に島を発見したのが聖霊降誕節だったからという。また、もう一つの地名語源説として、コロンブスが島を遠望したとき、三つの峰が見え、3島であるようであったが、近づくと一つの島になっていた。これは神が三位一体の理を示されたものとして、トリニダード(三位一体)の名前がつけられたという。

   トリニダードは主に石油、天然ガスの輸出国として知られるが、リンボーの発祥地としても有名である。リンボーダンスは体を反り身にしてバーの下をくぐる曲芸的な踊りであるが、英語のLimber(しなやかな、柔軟な)が、Limboに変化したらしい。(参考文献:牧英夫「世界地名ルーツ辞典」)

2009年2月 5日 (木)

写楽は誰だ?

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    江戸時代、庶民の生活を題材に、風俗、役者、美人、そして名所・風景などさまざまなテーマで描かれた浮世絵。そして代表的な絵師、東洲斎写楽、喜多川歌麿(1753-1806)、葛飾北斎(1760-1849)、歌川広重(1797-1858)の四人を四大浮世絵師というらしい。このなかで写楽だけ生没年がわからない。現在残されている写楽の作品は寛政6年5月から寛政7年2月まで10か月間に集中的に発表されたもので、その後の消息が一切不明。つまり突然現われて、忽然として姿を消した。そのため写楽を謎の絵師といい、別人に比定する説は枚挙にいとまない。主なものだけをあげる。

①斎藤十郎兵衛(斎藤月岑説)、②円山応挙(田口柳三郎説)、③谷文晁(池上浩山人説)、④葛飾北斎(由良哲次説)、⑤阿波藩蒔絵師飯塚桃葉社中(中村正義説)、⑥鳥居清政(君川也寸志説)、⑦歌川豊国(石沢英太郎、梅原猛説)、⑧酒井抱一(向井信夫説)、⑨谷素外(酒井藤吉説)、⑩山東京伝(谷峰蔵説)、⑪中村此蔵(池田満寿夫説)、⑫篠田近治(渡辺保説)、⑬喜多川歌麿(石ノ森章太郎説)、⑭蔦屋重三郎(横山隆一、榎本雄斉説)、⑮秋田蘭画派(高橋克彦説)といろいろあるが、いまのところ推理小説の世界でどの説もイマイチ確証に欠ける。

    そこで登場した新説は平賀源内。いま週刊新潮に連載の島田荘司の「写楽閉じた国の力」では、主人公の佐藤貞三は写楽=平賀源内説を思いつく。源内は自宅で二人の男を殺したため、安永8年(1779)獄死したことになっている。つまり写楽の活動した寛政6年にはこの世にはいない。ところが非業の死を遂げた源内の葬儀は遺体もなく、墓もないため、後世、逃げ延びて生き続けたという俗説もあるため、写楽と同一人物とする小説のプロットもアリであろうか。

2009年2月 1日 (日)

日常

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    日曜日に  市場へでかけ

    糸と麻を  買ってきた

    月曜日に  お風呂をたいて

    火曜日は  お風呂に入り

    水曜日に  友だちが来て

    木曜日は  送っていった

    金曜日は  糸まきもせず

    土曜日は  おしゃべりばかり

    友だちよ これがわたしの

     一週間の  仕事です

   日常の生活のなかにこそ、人間が生を営むうえでの大切な本質があり、意味がある。それをおろそかにしては、真の幸福も平和もあり得ない。

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