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2009年2月28日 (土)

漱石の初恋の女性・日根野れん

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   夏目漱石(1867-1916)が子規に送った手紙(明治24年7月18日付)の中に書かれた「井上眼科医院で見かけた可愛い女の子」とは日根野れん(1866-1908)のことだといわれている。(石川悌二説)

   幼少期、養父・塩原昌之助に引き取られた漱石(7歳)は日根野かつとその連れ子れん(連、8歳)と同じ家に住み、一緒に小学校に通った。明治18年か19年ころ、れんは陸軍軍人・平岡周造(1860-1909)と結婚。夫の任地にしたがって東京を離れていたが、再びれんが東京に戻ったときに偶然に駿河台の井上眼科医院で漱石と再会したらしい。夏目鏡子「漱石の思い出」にも「漱石はトラホームをやんでいて、毎日のように駿河台の井上眼科にかよっていたそうです。すると始終そこで落ちあう美しい若い女の方がありました。背のすらっとした細面の美しい女、そういうふうの女が好きだとはいつも口癖に申しておりました」とある。漱石の小説の中では「文鳥」(明治41年)にも美しい幼なじみの女・日根野れんを想像するに充分な作品がある。れんは明治41年6月2日に41歳で亡くなっている。

やっとつかんだ真実の愛

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   最近の芸能ニュース、ちょっといい話が多い。まずは宮沢りえの妊娠。お相手はハワイ在住の実業家。2人は近く結婚するらしい。愛があれば、順番もルールも必要ない。すったもんだもあったけど、ともかく、できちゃった結婚オメデトウ。玉置浩二と石原真里子の復縁・結婚。ふぞろいの跳んだカップル、否、元祖プッツンカップル、お互いさまざまな人生行路を経て、やっと真実の愛をつかんだ気がする。

   BS2で放送中の韓国ドラマ「太王四神記」もいよいよ大詰めだが、本筋ではないが大男チュムチ(パク・ソンウン)とダルビ(シン・ウンジュン)の恋の行方が気になる。実際に2人はこのドラマが縁となって昨年の10月18日に結婚している。ペ・ヨンジュンもヘリコプターで式に出席している。明眸美人のダルビはよく転ぶのでクァダン・ダルビ(すってんダビル)という愛称がつくほど人気者となった。

   また「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督(51歳)が1月12日、結婚していることがわかった。お相手は13歳年下の韓服デザイナーのハン・ヘスさん。「春のワルツ」以来、新作を待ち望んでいますが、良き伴侶をえて、これからもすばらしいピュアな恋物語を見せてください。

2009年2月26日 (木)

水戸黄門漫遊せず

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加賀邦男 月形竜之介 大友柳太朗 千原しのぶ

  水戸藩第2代藩主・徳川光圀(1628-1701)は黄門様として庶民に親しまれている。映画やテレビでは助さん格さんを連れて旅に出たことになっているが、実際には、諸国はおろか、ほとんど旅に出たことはなかった。唯一旅らしいのは、延宝2年江戸参府の途中、水戸から江戸に直行せず、上総、安房へ回り、そこから船で鎌倉へ渡ったことがあるだけだった。ではなぜ漫遊したことになってしまったのだろうか。学問好きの光圀は「大日本史」の編纂のため、家臣を諸国に派遣し、資料の収集をさせている。この家臣の旅が光圀自身の旅として誤って伝えられたという。水戸黄門の役者といえば渋さでは月形竜之介が天下一品であった。なんと昭和29年には「水戸黄門漫遊記」「副将軍初上り」「地獄極楽大騒ぎ」「闘犬崎の逆襲」の4本の映画が作られている。助さんは第1作は徳大寺伸、第2作は大友柳太朗、第3作は月形哲之介。格さんは3作とも加賀邦男だった。加賀は志賀勝の父。ウィキペディアで調べると、悪役俳優とあるが、ケペルの記憶では善玉役者の印象が強い。

2009年2月25日 (水)

13人の食卓

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      マシュー・アーノルド(1822-1888)

    欧米のキリスト教世界では、最後の晩餐のユダを連想させるため、13人で食卓を囲むのを避ける習慣がある。とくに「13人で食卓を囲むと、最初に席を立った者が1年以内に死ぬ」という不吉な迷信があった。イギリスの詩人マシュー・アーノルドは1888年のある晩、友人の画家ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-1896)のディナーに招かれたたとき、急に欠席者がでてしまい、なんと13人で食卓を囲まなければならなくなった。

「最初に席を立った者が1年以内に死ぬ」

ふとしたはずみで、そんな話題がでた。みんなは一瞬全身が凍りつき、お互いに顔を見合わせた。「誰が最初に席を立つのだろう…。」

   そこで、アーノルドは「何人かで同時に席を立ってはどうか」と提案し、自ら友人2人をともなって同時に席を立ち、その場をあとにした。ところが迷信通り、1年とたたないうちに、アーノルドは心臓発作で急死した。友人2人のうち、ひとりは水難事故で、もうひとりは自ら命を絶ってしまったのである。

   不吉といわれる13という数字には言い難い不気味さを持ち続けている。

2009年2月23日 (月)

温故知新

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    司馬遷は「史記」のなかで孔子が多くの人の知らぬことを明快に説き明かしている逸話を記している。歴史に詳しく、細かな故実を知り、古典の整理をなしとげ、楽器の演奏にも通じていた。孔子はやがて弟子をとって人の師となる。

故きを温(たず)ねて新しきを知る、以て師為(た)る可(べ)し        (為政篇)

先生が言われた。「古いことを学んで新しいことにも通じている、そうであれば人の師となれるだろう」と。

   今でもよく使われる四字熟語に「温故知新」がある。これは、人を教え導く教師になるためには、昔のことがらをよく研究してそれに精通し、また最新の知見をも得なければならない、というのがその意味である。つまり「温故」のみで、「知新」、新しい知識を持っていないと人の師にはなれない、というのが最近の解釈である。(諏訪原研「四字熟語で読む論語」)

   これまでの多くの解釈では、古典を大切にして、古いものの中から時勢に合うものを汲み取っていくことが「温故知新」の意味とされることが多い。広辞苑にも「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること」とある。

   「知新」を「新しい知識」とするか、「時代に合うものを見つける」という意味にとるかでずいぶん違ってくる。たしかに古典に精通した漢文の教師にも、最新のコンピューターや国際情勢の知識が必要であろう。岩波文庫の金谷治の訳にも「古いことに習熟して新しいことにもわきまえれば、教師となれるだろう」とある。

2009年2月22日 (日)

女は年を重ねて輝く

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    婦人公論3月7日号。作家・あさのあつこ、歌手・秋元順子、女優・戸田恵子。女性は努力と才能次第で、40代、50代を過ぎてから開花することを教えてくれる。記事中には記されなかったが、戸田さんの二度の離婚の相手とは、池田秀一と井上純一。二人とも10代で人気スターとなった方。池田秀一はNHK「次郎物語」、井上純一は「青春ド真中」「ゆうひが丘の総理大臣」「あさひが丘の大統領」の生徒役で知られた。イケメンの場合、中年を過ぎて再起することは至難の事だ。井上純一は郷ひろみがバーニングプロへ移籍というジャニーズ事務所最大の危機を支えたタレントである。たのきん登場まで、井上の人気で低迷期をしのいだ事務所功労者の一人だ。もう一人の功労者が今年1月28日にこの世を去った。フォーリーブスのター坊こと、青山孝史だ。歌唱力と音楽面でリーダー的存在であった。今日、ジャニーズ事務所があるのはフォーリーブスの活躍があってのこと。コンサート会場でファンの将棋倒しが発生するほどの人気ぶりだった。新御三家の登場などで人気の時期は短かかったが、70年代ファンには忘れられない。花男の盛りは短いが、中年女性はいつまでも元気。

まぼろしの「坊っちゃん」

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  昭和42年12月7日から翌年の1月25日まで放送されたテレビドラマ「さくらんぼ」というのがあった。星由里子がテレビに初主演するというので毎回楽しみで見ていた。源氏鶏太の小説「緑に匂う花」が原作で日活映画では吉永小百合主演で「若い東京の屋根の下」という題になっている。お話しは適齢期を迎えたBG桑野蕗子(星由里子)の家庭に大学生の三上良平が下宿する。二人はお互いに好意を感じながらも会うといつも意地を張って、二人の仲はなかなか進展しない。いわゆるツンデレである。この三上という青年を演じるのが山口崇という新人だった。それまで見たこともないようなタイプの颯爽とした好青年である。それから数年またたくまにお茶の間の人気者となった。そのころ刊行された学研の「現代日本の文学」に山口は短文を投稿している。

  やってみたい「坊っちゃん」の役。新劇俳優山口崇。初めて「坊ちゃん」を読んだのは、中学一年ころだと思います。坊っちゃんのあの正義感に満ちた一徹な性格は、いまだに忘れることができない。機会があれば、ぜひ一度、舞台か映画で、坊っちゃんの役をやってみたいのが、ぼくの夢です。

   残念ながら、ケペルは山口崇の「坊っちゃん」を見た事が無い。もしかしたら舞台であるかもしれないが知らない。これまで池部良、南原伸二、坂本九、中村雅俊、本木雅弘、郷ひろみ、などが演じているそうだが適役だったとは思えない。漱石の映画化はヒットしないというが、山口崇の「坊っちゃん」は昭和43年頃実現していれば、面白かっただろうにと惜しまれる。

   ところで夏目漱石はなぜ明治28年4月、地方の中学へ転任を希望したのか謎とされている。これまで①高等師範でのトラブル②健康に対する被害妄想、ノイローゼなどの病気③経済的理由④失恋説、などあるが、確証はなかった。何か特別の理由があって東京を脱出したかったことだけは明らかであろう。今回、河内一郎の近著「漱石のマドンナ」によるとかなり豊富な資料にもとづき明確に失恋説を採用している。漱石が愛した女性は大塚楠緒子(1875-1910)である。小屋保治(188868-1931)との三角関係であったが、明治28年3月16日、保治と楠緒子は結婚している。漱石も披露宴に出席している。そして4月7日、愛媛に向けて新橋停車場を出発している。漱石自身は「自分は何もかも捨てる気で松山に行った」と弟子に語ったことがあるが、この間の状況を見る限り、失恋説は一番近いように思われる。漱石が大塚楠緒子への恋心を小屋保治に訴えた手紙が多数存在していたそうだが、小屋は関東大震災の直後に全て焼却したという。(磯部尺山子「漱石さんの手紙」渋柿486号、昭和29年10月1日)

  現在、確実な証拠は残っていない。

2009年2月19日 (木)

映画「黄昏」

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   ウィリアム・ワイラーの映画「黄昏」(1951)はセオドア・ドライサー(1871-1945)の小説「シスター・キャリー」が原作となっている。ワイラー監督は本来「嵐ヶ丘」「女相続人」など文芸物を得意としている。ところが「ローマの休日」のロマンチック・コメディ、「ベン・ハー」の歴史劇、「コレクター」のサイコなどジャンルの広さに驚かされる。

   「黄昏」はワイラーの作品の中ではとりたてて高い評価を受けてはいない。あまりに悲劇的なため興行的には失敗だったろう。しかしながら演技者オリビエとジェニファー・ジョーンズの共演など見所は多い。ストーリーは中年の男が美しい女性のため人生を破滅するという往年の名作ドイツ映画「嘆きの天使」に近いものがある。なぜ「嘆きの天使」があのように成功をおさめ、「黄昏」は失敗したのだろうか。ローラは魔性の女であったが、キャリーは情が深く、善人であったことで、筋立てが凡庸になった感がある。

   シカゴへ出てきた田舎娘キャリー(ジェニファー・ジョーンズ)が妻子ある高級レストランの支配人ジョージ・ハーストウッド(ローレンス・オリビエ)と出会う。二人はニューヨークへ駆け落ちをして安アパートで暮らしはじめる。たがジョージの新しい仕事先はなかなか見つからず落ち込む。そんなときキャリーの言葉がいい。「ジョージ。買い物に行ってきてちょうだい。牛乳1本と新聞、それに葉巻を」。それを聞いてジョージは「君はすばらしい人だ」と抱擁する。そのような日常的な言葉でやさしいを表現することはちょっと今のテレビなどでは見られないシークエンスであろう。ドライサーの原作にあるものなのか、ウィリアム・ワイラーによるものか、ルース・ゲイツ、オーガスタ・ゲイツの脚本によるものか知らないが、この悲劇的な原作の中でもイイ台詞はある。

   ちなみにジョージの因業な正妻を演じている女優はミリアム・ホプキンスという。若い頃、エルンスト・ルビッチの「陽気な中尉さん」「極楽特急」「生活の設計」などのコメディで粋な演技を魅せていた。いまDVDでめずらしいものが見れてありがたいものだ。

2009年2月16日 (月)

宮本武蔵の生誕地の謎

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    宮本武蔵(1584-1645)の生誕地をめぐっては古来から播州説と作州説なとがあり、はっきりしない。吉川英治の「宮本武蔵」では、武蔵の生誕地を作州の宮本村、現在の岡山県英田郡大原町とした。そのため作州が武蔵の故郷と思っている人も多い。なぜ、故郷が二説になってしまったのだろうか。

    生誕地が明確でない一番の原因は、武蔵自身が自分の来歴を詳しく残していないことにある。もちろん武蔵は、著書「五輪書」の中ではっきりと「生国播磨」と記している。しかし、これは播磨の何処なのかまでは明記していないのである。播磨と一口にいっても、現在の兵庫県の約三分の一以上を占めようかというぐらい広範囲を指す。これでは、記しているようでしていないのも変わらない。その本人が「生国播磨」と記したのに対し、長い間一般的に武蔵の生家とされている新免家は、まぎれもなく作州に住んだ一族なのである。

   小倉の手向山に武蔵の死後、養子の宮本伊織が設けた碑文には「播州英産赤松之末葉新免之後裔武蔵玄信」「父号新免無ニ」とある。文章は生前の武蔵を知る春山和尚の作によるとされている。この播州がどこに掛かるのかで意味が大きく違ってくる。播州の英産なのは、赤松なのか、武蔵自身なのかである。作州説に立つ人は赤松氏が播州出身であることをいっているのであって、武蔵が播州出身であるとはいっていないと解釈する。そして播州説に立つ人は、武蔵を播州英産としているのだとしている。碑を建てたのは伊織自身であるから、碑文を春山和尚に依頼したとして、草稿のできた時点でおそらく文面を伊織は見ているはずである。もし文面に誤りあれば、特に出自にかかわることについては正したことだろう。解釈の仕方でどちらともとれる文章にしてしまったのが今となっては残念としかいいようがない。

アントネッロ・ダ・メッシーナ

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「お告げのマリア」1475年頃 アントネッロ・ダ・メッシーナ 

    アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430年頃~1479年)は、初期ルネサンスの画家。シチリア島メッシーナに生まれ、ナポリでコラントニオに学ぶ。フランドル絵画、とくにファン・アイクの作品から学び、油絵の技法を習得。絵画に奥行きとぼかし効果を与えるとともに、緻密な筆致によって物の材質を再現することに成功する。ミラノにおもむき、1456年頃まで滞在。1457-1474年はメッシーナに帰って制作を続ける。1475-1476年にかけてヴェネツィア、ミラノにおもむき、サン・カッシアーノ聖堂の祭壇画を制作した。

2009年2月14日 (土)

いとしのバレンタイン

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    今日はバレンタインデー。むかしからこの頃ラジオでかかる曲はフランク・シナトラの「マイ・ファニー・バレンタイン」と決まっていた。ネルソン・リドルの指揮・演奏でシナトラの名唱中の名唱。シナトラとキム・ノヴァック主演の映画「夜の豹」(1957年)に挿入されていた。もともとはロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲による1937年の作品。同年のミュージカル「ベイブス・イン・マイ・アームズ」で使われた曲だった。このミュージカルは2年後MGMで映画化され、ジュディ・ガーランドが歌って知られるようになった。バレンタインとは男性の名前。つまり、この曲はバレンタインデーとは全く関係がないのだ。「私のいとしのバレンタイン様」と女性があこがれの男性に思いを伝える歌である。女性が歌うべき曲ではあるが、なぜかチェット・ベーカー、フランク・シナトラなど男性の曲が多く、人気が高い。

イスラム美術とミニアチュール

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  ウーラード王の首に綱をかけるロスタム「シャー・ナーマ」手写本の挿絵  シラーズ派

    イスラム文学の発達にともない、物語詩などの写本がつくられ、その装丁の装飾と平行し、挿画をいれるようになった。それがイスラムの画家にとって、小さい画面ながら、腕をふるいえた唯一の場所であった。だから繊細な描線とさまざまな彩色のかぎりをつくして、ロマンの世界を実現することに、情熱をそそいだ。物語性の関係もあって、ここでは三次元的な空間構成は問題とせず、もっぱら説明的な表現に終始し、画面はやはりオリエント古来の平面性と装飾的な効果をあげることに、つとめている。イスラムのミニアチュールは15世紀から16世紀、ペルシアの画派において黄金時代をむかえるが、それらはやがてムガール朝やオスマン・トルコ朝のミニアチュールの発達をうながした。なおその間に、中国の宋元画や明画などの影響をうけたものも少なくなかった。ことに白描画の発達は注目すべきである。(林良一「イスラム 講談社版世界美術17」)

ブックオフへ行く。「A Day in the Life of Canada」、「A Day in the Life of Australia」、絲山秋子「沖で待つ」、講談社版世界美術「メソポタミア」、「ローマ」、「ビザンチン」、「イスラム」購入。ずっしり重たい。

オバマ・ブーム便乗商法はハワイアン復権

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   今、世界中でもっとも有名な人、オバマ大統領。書店ではズラリとオバマ本が並ぶ。洋書コーナーでは豪華な写真集がいろいろ出版されている。185センチと背が高く、やせ型で親しみやすい笑顔。45歳だけど実際よりも若く見える。日本では麻生首相の支持率が20%以下といわれるが、一方のオバマの支持率はなんと90%以上ともいわれる。日本でオバマを支持したところでどうなるものでもないが、「オバマを勝手に応援する会」というユニークなものもあるそうだ。また福井県の小浜市は「おばまガールズ」や「ちりとてちん」の便乗効果で観光客が増加した。映画「フラガール」をヒントにした町おこし作戦が功を奏したのだ。俗に言う「勝ち馬にのる」ことは勝利への鉄則ではないだろうか。不景気なこの時代、何か明るい話題はないだろうか。フラガールズで思い出すのは、昭和20年代後半から昭和30年代にかけてのハワイアン・ブームだ。これも戦後ニッポン人が必死になって復興を模索するなかで考えた、アメリカ景気の便乗「勝ち馬に乗れ」商法の一つだった。日本の遊園地や都会のビア・ガーデンではいつもハワイアンが流れていた。夏は池や湖にボートがあって、ハワイアン・フラダンス・ショーがあった。日本で人気のハワイアンというのはハパ・ハオレ・テューン(半分白人化された曲)である。戦後、ハワイ観光ブームによって日本にもたらされたハワイアンを日本人はとても好んだ。アンティ・イオナ、ソル・ポーピー、レイ・キニー、ダニー・スチュアート、アルフレッド・アパカ、ラニ・マッキンタイア、ソル・フービー、リンダ・ハワイズ・カナリ、レナ・マシャードなど代表的な音楽家たちである。古代ハワイの伝統音楽が西洋音楽と接触してポピュラー音楽となっていった。日本にもバッキー白片や大橋節夫、和田弘とマヒナスターズ、エセル中田、南かおる、日野てる子などの人気者が登場した。シャッター通りといわれる地方の商店街の皆さん、この夏はBGMにハワイアンを流したり、盆踊りなど楽しい企画をして盛りあげてみてはいかがでしょうか。

2009年2月13日 (金)

裸眼でとらえた風景

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   素朴派礼賛の風潮は、19世紀末のパリで、ドイツの評論家ヴィルヘルム・ウーデや当時第一線で活躍した芸術家たちによって、アンデパンダン展(無審査展)に参加した税関吏アンリ・ルソー(1844-1910)の芸術が認められたことに始まる。ルソーの後、最も優れた素朴派の画家はアンドレ・ボーシャン(1873-1958)である。

   フランス中部のシャトー・ルノーに庭師の息子として生れたボーシャンは、第一次世界大戦中に測量技術を習得し、技師となる。測量図の正確さを認められデッサンの勉強を続けるよう進められドローイングに興味を持つようになる。46歳を過ぎてから本格的に絵画を描き始めた。48歳の時、サロン・ドートンヌに出品した作品がアメデ・オサンファンやル・コルビュジュらに認められる。その作品は柔らかく上品な色調にまとめられ、自然への愛情に満ちている。

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     花咲ける丘

2009年2月11日 (水)

陽気なチリの踊り・クェッカ

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   チリの首都サンディエゴの酒場で今でもクェッカ・ダンスは見られるのだろうか。1960年代の世界文化社や国際情報社のシリーズ物には南米の巻には必ず紹介されていたが、老齢化のため踊り子も少なくなっているらしい。

    クェッカ(Cueca)はラブハントのために踊るもので、男性と女性がお互いに右手で白いハンカチを振りながらぐるぐると回る。まるでオンドリがメンドリを追いかけるような格好だ。ギターで全て伴奏を行うが、アーコーディオン・ハープなども使う。ステップはなかなか難しいが、女性の踊りはとくに魅力的である。もともとペルーのリマで発生して、チリに渡ってきたといわれる伝統的な民謡で、18世紀頃から盛んに踊られるようになった。スペインのフラメンコの流れをくむもののようである。代表曲に「ラ・ボリビアーナ」「水瓶のクェッカ」「忘却のクェッカ」などがある。

白いストック

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   数ある好きな花の中でだだ一つを選ぶならストック。早春から春までの間、切り花として花屋さんに並ぶ。アブラナ科の丈の高い花で、色も白、ピンク、濃い赤紫と種類が多い。花は匂いがよく四弁で十字形。アラセイトウとも言う。

 一鉢のあらせいとうの盛りかな      近松秋江

 ストックの香より花舗の荷解きゆけり  河野美奇

 包まれしストックの香と色ほどく          稲畑汀子

  午前、復活書房へ行く。向井亜紀「会いたかった」、トレイシー・ホッグ「赤ちゃん語がわかる魔法の育児書」、浦野千賀子「アタック№1」、「ドキュメント草彅剛in黄泉がえり」、永田萌「ふりむけば花の香り、京都花風景」、森田米雄「ドッグ・サミット」「キャッツ・ハート」購入。

密林の聖者シュバイツァー

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    へレーネ・ブレスローと結婚したアルベルト・シュバイツァー(1875-1965)は、1913年、夫婦でフランス領赤道アフリカ、ガボン地方へ行き、ランバネラ病院を建設。この病院は、治療代、入院費をいっさい取らない。その代り、付添いや患者も働けるものはみんな病院のために労力奉仕をする。病院はそれ自体果樹園であり、野菜園であり、動物園である。博士の愛は虫一匹にも及び、ニワトリ、アヒル、犬、猫、猿などがわがもの顔にふるまっている。

   シュバイツァーは体格も大きく強いエネルギーと鋭い集中力をもち、その容貌は力強く、同時に人類愛にあふれていた。また事務的手腕にも病院経営にもすぐれていた。最初病院の経費は欧州でのオルガン演奏会、講演会、著書の印税などによって維持されていたが、のちには多くの国の個人や財団からの寄付によって運営されるようになった。

2009年2月 9日 (月)

歌手・薬師丸ひろ子

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  会社の帰りの  電車の窓から

  マーマレード色の 夕焼けを見たの

  知らない間に 涙がこぼれて

  ともり始めた家の灯 胸に染みた

   むかし「薬師丸ひろ子の声はうっとうしくて嫌いだ」とある友人は言っていたのを思い出す。たしかに薬師丸の声は、男性にとって心地よいと感ずる人と嘔吐感へとつながる人と極端に二分するらしい。ケペルはメロディラインに乗った彼女特有の伸びのある高音は聞いていてとても気持ちいいと感ずるほうである。そのため彼女のシングル、LP、あるいはベストもののCDなど多く所有しているし、何度となく愛聴している。先週テレビが壊れたのでプラズマの42インチテレビを買った。そして録画しておいた昨年9月放送の薬師丸ひろ子「SONGS」を再見する。「カ・イ・カ・ン!」

    デビュー30周年を迎えた彼女は自身のキャリアの中で培った表現力で当時よりも上手くなっていた。過去日本映画界で歌う女優はたくさんいるが彼女ほど歌の好きな人はいるだろうか。薬師丸の歌の原点は合唱だそうで、番組の中でも島根県雲南市立吉田小学校のこどもたちと「夏の思い出」を一緒に合唱している。ラストに歌った「風に乗って」がとくに印象に残った。「今夜風に乗り、言葉を届けよう、彼の住む街に素足で舞い降りて」というステキな歌詞だ。NTTのイメージソングだったが、たしか玉置浩二と結婚した頃の歌だった。薬師丸のヒット曲は多い。「セーラー服と機関銃(夢の途中)」「愛情物語」「メイン・テーマ」「時代」「あなたを・もっと・知りたくて」「WOMAN」。でもこの「風に乗って」は薬師丸ひろ子にとっていかに大切な曲であるか。そしてファンも大好きな曲で、いわば隠れた名曲だと思う。

アメリカ大統領の数奇な運命

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   バラク・オバマは2009年1月20日、リンカーンの使用したという聖書に手を置いて宣誓し、第44代大統領に就任した。そして大統領を見るためこの就任式に、全米からなんと200万人を超える観衆が集ったという。

   正式な名前はバラク・フセイン・オバマ・ジュニア。実父オバマ・シニアはイスラム教徒である。そのためミドルネームにフセインという名がある。つまりサダム・フセインを思い起こさせるし、オバマはオサマといい間違えることがあり、オサマ・ビンラディンを思い起こす。第44代大統領、この44の凶数も不吉な予感がする。

   気になって調べて見ると、アメリカ大統領には数十年おきに不幸な出来事があるというのは歴史的事実だ。1840年、第9代大統領ウィリアム・ハリソンは肺炎で就任後1ヶ月亡くなっている。1860年に第16代大統領エイブラハム・リンカーンは5年後の1865年に暗殺された。1880年には第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドが弁護士に撃たれて死亡。1920年には第29代大統領ウォーレン・ハーディングは遊説中、脳溢血で死亡。1940年、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトもやはり脳溢血で急死している。そして、1960年に第35代大統領になったジョン・F・ケネディは3年後に世界中の人の見守るなか、ダラスで衝撃的な死を遂げた。

    今やオバマの人気は演説集がベストセラーになるほどで、本国のみならず日本、世界でもリンカーンやケネディの再来といわれるほどの期待感で歓迎されている。だが過剰な期待と裏腹に過去の忌まわしい歴史が暗示する偶然の数々が不吉なできごとを予感させずにはいられない。今は単なる杞憂であることを願うのみである。

マリー・ローランサンと堀口大学

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1918年(35歳のマリー・ローランサン)

   マリー・ローランサン(1893-1956)という女流画家は日本でも人気のある画家の一人であろう。それはギヨーム・アポリネールの「ミラボー橋」という詩と共に二人の恋の話が流布しているからでもあるが、実は日本の一人の青年詩人との交友があったこともその理由の一つと考えられる。その詩人とは「ミラボー橋」の訳詩を最初にした堀口大学(1892-1981)である。

  1915年、23歳の堀口大学(1892-1981)はスペインのマドリードで女流画家マリー・ローランサン(1883-1956)と出会う。二人は毎日一緒に散歩をした。この交友は1922年になって、パリでまた復活する。その時、ローランサンはピンクとグレーを主調とした部屋に住み、寝室はピンクと水色のと二つあり、気分次第でそのどちらかに寝るという優雅さだった。ローランサンの詩「日本の鶯」は明らかに堀口大学のことを書いたものであろう。

      日本の鶯

  彼は御飯を食べる

  彼は歌を歌ふ

  彼は鳥です

  彼は勝手な気まぐれから

  わざとさびしい歌を歌ふ

   堀口大学の訳詩集「月下の一群」はローランサンとの交友がもとになって生れたものであろう。

       * *

   午前中、久しいぶりにブックオフへ行く。感謝券の有効期限が近づいたからだ。ギュスターブ・ドレ「図説バイブル」(一橋出版)、「薔薇色のソネット、マリー・ローランサン展」、デービッド・D・ダンカン「ひまわり、ヴァン・ゴッホに捧げる」、石田英一郎「古代アメリカ、講談社版世界美術23」、東野芳明「現代、講談社版世界美術25」、「マキュア2009.1、美女として生きていく宣言」、アキヤマ香「犬と私の10の約束」、「子犬と遊ぼ!ベストカタログ」(笠倉出版社)、濱野光「コンタクトレンズ」、宮部みゆき「理由」、アーネスト・ヘミングウェイ「エデンの園」、梨木香歩「西の魔女が死んだ」、宮部みゆき「夢にも思わない」「地下街の雨」、「世界で本当に起きていた数奇なドラマ」購入。

2009年2月 8日 (日)

トリニダードトバコ

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    カリブ海の西インド諸島南端に浮かぶ小さな島、トリニダードはトバコなど5島と共に、1962年8月31日イギリスからトリニダードトバコ共和国として独立した。地名由来トリニダードとは、スペイン語で、コロンブスが1498年に島を発見したのが聖霊降誕節だったからという。また、もう一つの地名語源説として、コロンブスが島を遠望したとき、三つの峰が見え、3島であるようであったが、近づくと一つの島になっていた。これは神が三位一体の理を示されたものとして、トリニダード(三位一体)の名前がつけられたという。

   トリニダードは主に石油、天然ガスの輸出国として知られるが、リンボーの発祥地としても有名である。リンボーダンスは体を反り身にしてバーの下をくぐる曲芸的な踊りであるが、英語のLimber(しなやかな、柔軟な)が、Limboに変化したらしい。(参考文献:牧英夫「世界地名ルーツ辞典」)

2009年2月 5日 (木)

写楽は誰だ?

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    江戸時代、庶民の生活を題材に、風俗、役者、美人、そして名所・風景などさまざまなテーマで描かれた浮世絵。そして代表的な絵師、東洲斎写楽、喜多川歌麿(1753-1806)、葛飾北斎(1760-1849)、歌川広重(1797-1858)の四人を四大浮世絵師というらしい。このなかで写楽だけ生没年がわからない。現在残されている写楽の作品は寛政6年5月から寛政7年2月まで10か月間に集中的に発表されたもので、その後の消息が一切不明。つまり突然現われて、忽然として姿を消した。そのため写楽を謎の絵師といい、別人に比定する説は枚挙にいとまない。主なものだけをあげる。

①斎藤十郎兵衛(斎藤月岑説)、②円山応挙(田口柳三郎説)、③谷文晁(池上浩山人説)、④葛飾北斎(由良哲次説)、⑤阿波藩蒔絵師飯塚桃葉社中(中村正義説)、⑥鳥居清政(君川也寸志説)、⑦歌川豊国(石沢英太郎、梅原猛説)、⑧酒井抱一(向井信夫説)、⑨谷素外(酒井藤吉説)、⑩山東京伝(谷峰蔵説)、⑪中村此蔵(池田満寿夫説)、⑫篠田近治(渡辺保説)、⑬喜多川歌麿(石ノ森章太郎説)、⑭蔦屋重三郎(横山隆一、榎本雄斉説)、⑮秋田蘭画派(高橋克彦説)といろいろあるが、いまのところ推理小説の世界でどの説もイマイチ確証に欠ける。

    そこで登場した新説は平賀源内。いま週刊新潮に連載の島田荘司の「写楽閉じた国の力」では、主人公の佐藤貞三は写楽=平賀源内説を思いつく。源内は自宅で二人の男を殺したため、安永8年(1779)獄死したことになっている。つまり写楽の活動した寛政6年にはこの世にはいない。ところが非業の死を遂げた源内の葬儀は遺体もなく、墓もないため、後世、逃げ延びて生き続けたという俗説もあるため、写楽と同一人物とする小説のプロットもアリであろうか。

横綱の品格問題

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   伝統と格式の国技といわれる大相撲だが、今その体質の甘さが世間の批判を浴びている。先日も若麒麟が解雇処分となった。大麻事件、時津風部屋力士死亡事件、八百長疑惑、タニマチとの金銭トラブル、そして横綱の品格問題など課題が山積している。初場所千秋楽の朝青龍のガッツポーズなどを見ても伝統と格式の国技といわれる大相撲が危機に直面していることは明らかである。だが戦後大相撲事件史を調べていくと、横綱前田山の出場停止処分にその濫觴をみることができる。昭和24年の大阪場所、前田山英五郎(1914-1971)は初日力道山に勝ったのみで、その後5連敗を続け大腸炎を理由に休場し帰京した。ところが休場中にもかかわらず前田山は後楽園球場へ行き、サンフランシスコ・シールズと巨人軍の試合を観戦した。あろうことかオドール監督と握手する写真まで新聞に掲載され、問題となり、これがもとで引退するはめになった。前田山はのちにハワイ出身の高見山をスカウトして、大相撲の国際化に貢献したが、のち曾孫弟子にあたる高砂部屋の朝青龍が巡業をさぼってモンゴルでサッカーの試合に出場して問題になったことなどをみると、因縁めいたものを感ずる。大鵬はハワイ巡業で入手した拳銃を隅田川に捨てて書類送検されたことがある。北の富士は負けが続いてズル休みするため「不眠症」という診断書を協会に提出、その翌場所ハワイで美女と遊んでいるところをパパラッチに撮影された写真が週刊誌掲載された。輪島も年寄株「花籠」を借金の担保にしたことがバレて、結局廃業。親方とケンカして破門となった双羽黒。いま朝青龍だけが横綱の品格を問われることが多いが、過去の横綱事件簿をみると「朝青龍ほどじゃない」と思うか「朝青龍だけじゃない」と思うかのちがいだけであろうか。一度デーモン小暮とやくみつるでこの問題を討論してみてはどうだろう。

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2009年2月 1日 (日)

日常

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    日曜日に  市場へでかけ

    糸と麻を  買ってきた

    月曜日に  お風呂をたいて

    火曜日は  お風呂に入り

    水曜日に  友だちが来て

    木曜日は  送っていった

    金曜日は  糸まきもせず

    土曜日は  おしゃべりばかり

    友だちよ これがわたしの

     一週間の  仕事です

   日常の生活のなかにこそ、人間が生を営むうえでの大切な本質があり、意味がある。それをおろそかにしては、真の幸福も平和もあり得ない。

消えたフエキ糊の謎

   フエキ糊(不易糊工業株式会社)という黄色い容器に入った糊がある。明治19年5月に大阪の足立商店(不易糊工業株式会社の前身)が発売した新発明の腐らない澱粉糊のことである。かつて広辞苑には「不易糊」として掲載されていた。広辞苑第2版の解説では、「硼酸またはサリチル酸のような防腐剤と香料とを入れて長く保存できるようにした糊」とある。ところが現在の第6版では「不易糊」の項目が削除されている。

    このほか広辞苑に掲載されている商品名には、サクラの「クレパス」(第1版から)、寺西化学の「マジックインキ」(第2版)、「セメダイン」(第2版補訂版)などは、いまでも第6版に掲載されている。

    新たに追加された商標名としては、「コカ・コーラ」は第4版には無かったが第6版では掲載されている。ちなみに「ペプシ・コーラ」は掲載されていない。岩波書店の社員はコカ・コーラが好きなのだろうか。

    新種の糊も発売されているが、ケペルは昔ながらのフエキ糊を指先につけてベタベタ貼るのが好きで今でも愛用しているし、ペプシ・コーラもよく飲む。広辞苑の採用基準はやはり謎である。

「とっぽい奴」は抜け目がないのか、間抜けなのか?

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       「悪名」 八尾の朝吉とモートルの貞

  「とっぽい兄ちゃん」という表現はヤクザ映画などでしばしば使われ、「とっぽい」は比較的よく耳にする形容詞ではあるが、時代や前後の文脈により、さまざまな使われ方をする言葉だ。もともと明治時代には「ずる賢い」「抜け目がない」という意味であったが、昭和に入ると「気障で不良じみた人」「生意気」などという意味も加わってきた。そのためヤクザ風の若い男に対して使われることが多い。だが戦後、「いかす」「イケてる」などと比較的近いニュアンスを持つ言葉が流行したことで、「とっぽい」の意味に変化が生ずるようになる。1970年代の吉田拓郎の「とっぽい男のバラード」に見られるように「何をやってもダメな奴」というイメージで歌われている。歌詞には「何をやってもダメなうすのろだけの男、好きな女がいても他の男にとられて、とっぽくてとりえのない男」とある。

    つまり現在では「ずる賢い、抜け目がない、ちゃっかりしている」という本来の意味から、正反対の「間が抜けている、ダメな人」という意味へと移行しつつある言葉ではないだろうか。

    同様に「とっぽい娘」も昭和の初めには「気障」「ちゃっかりしている」からモダン・ガールなどのような近代的、都会的なタイプの女性を指したようだが、戦後になると「田舎出のとっぽい娘」という矛盾した表現もみられるようになる。つまり「とっぽい」はテキ屋の世界では、「抜け目のない」という意味だったが、時代とともに「間抜け」の意味で使われることのほうが多いようになっている。

   ケペル個人的に「とっぽい兄ちゃん」というイメージは、何をやってもダメな奴というよりは、イキでちゃっかりしている現代的なヤクザ風の男をイメージする。つまり映画「悪名」(田中徳三監督)で田宮二郎が演じたモートルの貞のようなアンちゃんである。ちなみにモートルとはモーターのことだが、博打を意味する符丁だそうだ。

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