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2009年1月17日 (土)

蔵書と知的生産の関係

   渡部昇一の「知的生活の方法」(昭和51年)という本がある。まだパソコンのない時代なので、データの整理技術など今読んでもあまり役立つ内容ではないかもしれない。だが読書の技術とか書斎の整え方とか結婚生活に至るまで言及しており読むとなかなか面白い。つまりは知的生活が内面の充実に役立つというのである。

   渡部昇一にしても林望にしても「本は買うべし」「研究費を惜しむな」「身銭を切れ」という意見の識者は多い。その根拠は、本を買うのは結局時間の節約になるからだというのだ。借りた本は、赤線をひいて自分の手許に置くわけにいかない。借りた本は返さねばならず、要るときは手許にないから、要点をカードに取るとかノートに書くことになり時間と労力がいる。むしろアルバイトをして本を買うほうが、図書館から借りるより、結局は時間の節約になる。「時は金なり」の裏返しで「金は時なり」ということである。実際に自宅に膨大な書斎を持つことで徳富蘇峰も大宅壮一もジャーナリズムの雄となった。小説家にしても松本清張や司馬遼太郎の蔵書をみればわかるであろう。若い日、箕面にあるケペルの恩師の家を訪ねた時もその蔵書の多さに驚かされた。ただケペルは図書館人なのでベンジャミン・フランクリン以来の合理的な考え方には賛成で、万人がいつでも利用できるような公共図書館をもっと充実させることが重要であるということを主張してきたし、この考え方は今後も基本的には変わらない。よく「蔵書一代」といわれるが、ひとりの人がどんなに本を買い集めたところで10万冊を超えることはまずない。一般人の蔵書家で多くても1万冊前後、学者や著名な作家でも3万冊を超えることはない。故人が生前のときはその本はなるほど生かされるであろうが、おそらく遺族たちにとって何の関心もない古色蒼然たる本は邪魔な物であろう。

    ただし一般人が3000冊あるいは5000冊前後の蔵書を有することは知的生産において武器になるという渡部昇一の説はまことにそのとおりである。図書館利用者で新刊書を毎日10冊くらいリクエストして、延滞して、督促を受け、また予約して、常に100冊くらい借りて、やはり読みきれない人がいる。時間と労力を費やしてあまり知性を磨くことに役立っていない。おそらく前に借りた本の書名も著書名も覚えいないだろうし、内容も身についていないだろう。ブックオフで新書100円の本を一冊買って、赤線引いて、精読する。それが100冊たまってNDCの分類順に並べて、毎日本の背を見て暮らす。ある時、論文やレポートを書く必要がでたとき、「その事柄はああ本書いてあった」と思い出し、書架から取り出し参考文献とする。お金が無いなら無料のPR雑誌を書店で集める。岩波書店の「図書」とか講談社の「本」とか新潮社の「波」とか、なかなか面白い記事がある。毎月、一読しておけば、いざというとき思い出せば役立つ記事も多い。インターネットの時代であっても、紙媒体の資料はなによりも読書という内面の充実を図ることに最適なので、自分流の書斎、あるいは自分のコレクションを構築されることは教養を高めるうえで効果的である。図書館利用は自分が所蔵できない高価な本とか入手不可能な学術書とか(いまは図書館間の相互協力サービスがあるので基本的にはなんでも最寄の図書館で取り寄せてもらえるはずである)補完的な利用の仕方にして、基本はまず自分の書斎を充実していくことが成功への近道であろう。もちろうこのような話はある程度生涯にわたって高いレベルでの知的生産をしていこうとしていく方への技術論であって、たんに暇つぶしの軽読書で十分という方は書斎は無用であり、図書館利用をフルに活用されることをオススメする。

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