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2009年1月 8日 (木)

鳥羽城主・九鬼嘉隆

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  答志島には九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある

    九鬼嘉隆(1542-1600)は、織田信長の伊勢攻略に降伏し、信長の水軍の将として活躍した。天正6年、木津川口において毛利水軍の糧船600艘を大砲を積んだ戦艦6艘で追いはらった。豊臣秀吉にも仕え、四国征討、九州征討、朝鮮の役に参陣した。しかし関ヶ原の合戦では西軍につき敗れて、鳥羽湾に浮かぶ答志島で自刃した。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

ケペル先生
 久喜嘉隆に関する記事を拝見しました。今後も先生の日本史の記事を楽しみにしています。九鬼家は江戸時代の外様大名と広辞苑にありますが、一族が存続したのでしょうか。ひるがえって李瞬臣の「乱中日記」を見ますと、海戦で日本が敗北したのは、日本の艦船の構造がきわめてもろく、もっとも大きな安宅船でも竜骨を用いていないため衝突されると簡単に崩壊する。また大型砲の差が著しかった。亀船には大型砲を40~74門装備、日本船は、石火矢・大筒・鉄砲の三種のみであったなどと、戦勝の将軍は都合のよい記述をのこしていますが、日本水軍が完敗したのは事実ですので、その頃の九鬼水軍はどうだったのでしょうか。徳川幕府以前の公式記録は、増鏡をはじめ不正確なものが多くて小説には不向きなので、私の私淑する吉村昭先生もこのジャンルには手をつけないと仰っていました。以前に源義経の逃走経路を調べるため、美濃の石轍呂(いとしろ)まで行ったことがありましたが、増鏡の記録はたったの二行ですからね。義経記は完全なるフィクションですが、史実とごちゃ混ぜになっているのは悲しいです。石轍呂では、山伏のネットワークを使って義経一行が逃走しことがわかり感激した思い出があります。いや、勝手気ままなことを申し上げました。ご容赦ください。

『「いき」の構造』を著わした哲学者の九鬼周三は九鬼嘉隆の末裔でしたよね。

米太郎さま
ご教示を深謝します。でも末裔というお言葉に抵抗を感じますね。日本で末裔といわれるのは、皇室と一部華族ぐらいで、あとは鼠算をお考えいただくとご理解が早いと思います。だからいたるところに末裔が浮上するわけですよ。これは決して否定できませんので、末裔には気をつけましよう。

昨夜酔いにまかせて失礼なことを申し上げたようです。お詫びしてこの記事を取り消します。また前々の記事でも九鬼を久喜と変換ミスを犯しました。お許しください。

いつも興味あるコメントを寄せていただき楽しみにしております。末裔と子孫との使い分けは少し難かしそうですが、小説を書かれる方が敏感であることは当然でしょうね。日本の武将の系図を「尊卑分脈」などで調べてみると、おそらくみんな源氏か平家の末裔に当たるのではないでしょうか。キリスト教徒はアダムとイヴの末裔なのでしょうか。子孫なのでしょうか。有島武郎の短編に「カインの末裔」というのがあります。舞台は北海道の農場ですが、なにやら暗示的な題名です。スタインベックの「エデンの東」はカインとアベルの話を現代のカリフォルニアのサリナスに移して、人間の罪を問いかけています。題名は、「カインはエデンの東、ノドの地に住んだ」という聖書に由来します。つまり罪深いカインの子孫の話なのですが、厳密にいうと、カインの家系は絶えているので、セトから数代のちのノア、セム、アブラハムと続く家系からイエスが生まれます。あれこれ思案をめぐらしましたが、末裔と子孫の使い分けは難かしいです。

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