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2009年1月18日 (日)

イエスの受洗の意義

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    イエスがヨハネからヨルダン川で受洗した事実は、最も早い伝承の伝える確かな事実の一つである。キリスト教の洗礼(バプテスマ)の制定が、イエス自身にまでさかのぼるということは、初代教会においては一致した主張である。キリスト教の洗礼は、悔い改めを要求し、水の中に完全に浸されることで、三位一体の神の名において聖霊が与えられるということであり、イエス自身の権威をかりて、「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3・5)といわれているように、それは神の国の一員となるためには、なくてはならない聖礼典のひとつである。

    また水の中に浸されることは、キリストの死に与(あずか)ることを意味し、そこから引き上げられることで、キリストとともに復活するという意味がこめられている。古い自分は死んで、神とキリストとを中心とする新しい自分に生まれかわる印でもある。

   初期教会の洗礼の方法については『十二使徒の教訓』に詳しく記されている。

洗礼についてそれをつぎの方法で授けなさい。そのまえになすべきことのすべてを教えたあと、流水のなかで父と子と聖霊の名において洗礼を施しなさい。泉から湧き出る水がないとき、冷水がないばあいは温水のなかで施しなさい。そのどちらも十分にないばあいは、父と子と聖霊の名において頭のうえに三度水を注ぎなさい。洗礼者、洗礼を受けるもの、それをできる他のひとも洗礼のまえに断食することが望ましい。少なくとも洗礼を受けるものにはまえに一、ニ日断食することを命じなさい。

    流水または池のなかで行う、水に浸けまた水を流してする洗礼の二つの形式は、初期には戸外で、川や海の水のなかで行われ、ついで住居のなかに移されて典礼が行われた。

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