長尾よねの写真
ブログ記事「児島喜久雄と長尾よね」に寄せられたYousukeさんの情報から、今日、本屋で「週刊新潮1月1・8日新年特大号」を買いました。びっくり仰天、スゴイ写真ですね。近衛文麿の孫娘・山本斐子の隣にいるのが長尾よね(1890-1967)だとすると、昭和18年当時52歳。女傑というイメージがあったが、小柄で若くて美人ですね。なぜ長尾よねが近衛家に出入りするようになったのは謎です。長尾よねは私生児ですが、元宮内省大臣・田中光顕(1843-1939)の養女になっています。田中は明治天皇の信頼が厚く11年間も宮中で絶大な勢力をもっていた。ところが明治42年1月、65歳の田中と19歳の町娘との縁談が話題となったが、娘が仲介者・金杉英五郎の情婦だったことから「宮内相の醜聞」と新聞に書き立てられ、周囲からの反対もあって破談となり、宮内大臣も辞任した。以後も田中は97歳まで長生きするが、美人の長尾よねと何時、どのようにして知り合いになったかは不明である。なお破談となった娘の名前は小林孝子という。昭和5年に山西健吉著「小林孝子懺悔秘話」(資文堂書店)という本まで出版されている。ともかく長尾よねは田中光顕の後ろ盾があって、宮中の要人と関係を結んでいったことだけは間違いない。
それにしてもこの写真、どういう人の集りなのかわからないが、不気味な感じがする。昭和18年といえば、そろそろ戦局悪化の情勢、こころなしか皆の表情も暗いように思える。
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担当殿
小生は縁あり、「長尾よね」について調べを進めております。このため、是非ご貴殿のブログ記事「児島喜久雄と長尾よね」を拝読させて頂きたいのですが、残念ながら該当の記事を見つける事が出来ません。
つきましては、当該記事を小生のmail address宛にお送り頂きたく、厚かましくも、ご連絡を差し上げました。また、長尾よねの写真が掲載されている「週刊新潮1月1・8日新年特大号」を是非入手したいと考えております。このため、本号の発行年が判りましたら、併せお知らせ頂ければ、誠に幸いです。
唐突な書き込みにて誠に恐縮ですが、本件につき格別のご配慮を、是非宜しくお願い申し上げます。
ところで、小生は昭和20年7月に鎌倉市極楽寺の谷で生まれましたが、5歳の頃、毎日山の上にある長尾家の別荘を通り抜け、鎌倉山の有閑マダムが遊びで開いていた幼稚園に通い、帰りはこの大庭園で遊び回っておりました。別荘の管理人は潮と云う方でしたが、息子さんと小生は幼稚園の同級生で、この縁もあり別荘内への立ち入りは自由でした。しかし、不思議な事に、長尾欽也氏や潮さんの記憶はあるのですが、何故か「よねさん」の記憶は有りません。
土居 隆
投稿: Takashi Doi | 2009年12月 5日 (土) 20時57分