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2009年1月17日 (土)

「サークル・ゲーム」をもう一度

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    ケペルがまだ高校生のとき「フレンズ、ポールとミッシェル」という映画をみた。アニセー・アルビナの幼い裸身が鮮烈な印象であった。麗しのアニセー・アルビナの近況をネットで調べると、なんと2006年11月10日、52歳の若さで亡くなっていた。「赤いポスター」(1975)ではジャン・ビゴ賞を受賞し、フランスの青春スターの地位を築いたが、残念ながら日本では未公開の作品が多かった。

    「フレンズ」(1970)の当時はまだ16歳。あまりの人気で「続フレンズ」(1973)もつくられた。少女がヌードになることは洋画でもまだめずらしかった。日本映画では1972年に由美かおるが「同棲時代」で脱いだ。街頭のポスターはあっというまに無くなった。関根恵子や秋吉久美子らも続々と美身をさらした。そのころ香港から可愛いフォーク歌手が日本デビューしている。アグネス・チャンである。1972年11月発売の「ひなげしの花」、翌年の「草原の輝き」などのヒットでまたたくまにアイドルとなった。日本ではアイドル歌謡であったが、アグネスはもともとはメッセージ性の強いフォーク歌手志向であった。香港で1971年バフィー・セントメリーが歌った「サークル・ゲーム」をカバーして大ヒットとなった。「サークル・ゲーム」は映画「いちご白書」の挿入歌だ。ベトナム反戦、学園紛争がテーマのキム・ダービー主演の青春映画。つまり平凡や明星で天地真理や麻丘めぐみと並んで笑顔をふりまいていたアグネスだが、政治性や社会的関心は本来的な資質であった。そのアグネスは今、児童ポルノの単純所持の禁止事項を法制化するための運動を積極的に取り組んでいることは周知のとおりである。ケペルはアグネス・チャンのファンだった。だが「だった」と過去形で言わざるをえない。数年前にアグネスはテレサ・テンの歌うはずだった曲を吹き込んだことがあった。テレサが最初来日のとき日本ではアグネスの人気絶頂期だったので、さっぱり売れなかった。アグネスとテレサとのそんな因縁は誰でも知っていることなので、やはりアグネスがテレサの曲を歌うことに抵抗感があった。今回の児童ポルノ禁止の運動についても正直ファンとしては抵抗感がある。アグネス日本デビュー当時、映画界ではアニセー・アルビナなどの少女ヌードが日本に大きな影響を与えたことは既に述べたが、当時の映画雑誌を所持しているケペルにとっては宝物のような写真もポルノの所持として違法性を帯びることになるであろう。芸術か猥褻かの論議ではなく、被写体が少女、児童であれば罰するという内容のシロモノである。日本人でないアグネスが国内法の改正に積極的に関与することも不自然である。性の商品化は、それを儲けとする業者を取り締まることは必要であるが、単純所持にまで及ぶということについては、同意できかねる。

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